ふわふわの毛が好きだ。
丸い綺麗な目が好きだ。
白すぎない黄色い肌を撫でていたい。
細い身体は抱き締めると折れてしまいそうだ。
きらきら輝く笑顔が見れるだけで幸せになれる。
あなたの傍なら、きっと永遠も一瞬になってしまう。
あの日、あなたに恋をした。
暁光は剣となりて
雨上がりの密林は地獄だった。
ぶんぶんと五月蝿く飛び回る巨大な蚊、蝿。異常な湿気に暑さが加わり、苦しさまで感じる。足元はぬかるみ、お気に入りのご立派な靴は見る影も無かった。巨木が視界を遮り、進もうにも進めないじれったさが、更に苛立ちを募る。
こんな格好で来たのが間違いだったのかもしれないと思ったのは、随分奥にまで来てからだった。
家の者が用意しただっさい服で良かったじゃないか。どうしてあそこで反抗してしまったのだろう。運動靴をはいているとは言え、所詮、ブランドものの使えない運動靴だ。ああ、でも今後悔してももう遅い。
握った拳を近くの木に叩き付ける。
銀の指輪に小さな傷がついたが構うものか。
流れる汗を汚れた袖で拭いながら、銀髪の少年は歯を食いしばって一歩進んだ。
実のところ、本当にこの道で正しいのかは分からない。
ある程度までは地図の通りに歩いていたのだが、いつのまにか地図通りにいかなくなってしまったのだ。それは道を外れてしまったのか、それとも地図が古いのか、わからない。ただ言えるのは、もうまっすぐ家に帰ることは不可能だろう、ということだ。
良く肥え、金持ち然とした父親の顔が脳裏をちらつく。
妾腹の自分は、もしや婉曲に殺されようとしているのではないのか?
密林の前に置き去りにしてくれた帆船は、もうとっくにヨーロッパに帰っているだろう。畜生。どれだけ歩けばいいんだ。
「……くそぉ」
泣きそうになりながら吐き捨てた。
もう、五時間は歩いている。
ここへ迎えと印のされた地図を渡され、大きな荷物を背負わされ、重いそれを背に密林をさ迷うこと五時間! 指令を一つ受け取ってはいるものの、まったく意味が分からない!
おそらく、熱帯地方だと言うことは分かるが、それ以外は不明。野生の獣に襲われないだけまだマシか。だが、いつ、何かに遭遇してもおかしくない。
木々が密集しているせいで、遠くに何があるかも判別しがたい。
荒い息を必死に収めようとしながらちらりと見た天は、そろそろ陰りを見せていた。ただ、梢のせいで、密林は常に薄暗い。
唇を噛む。
夜になる前に寝床だけは確保しなければ。
大きなリュックサックの中には、ブランケットぐらいはあったはずだ。
少年は、慎重に辺りを伺いながら進む。木の上が一番いい。地上の獣に出くわさなくて済む。
どこにするべきか、注意深く見回しながら、ふと彼は耳をそばだてた。
目をつむり、首を傾げる。
ざあざあ、ざあざあ。
水が流れる音だ。
「川が、あるのか」
ひとりごちながら、何となく音の方へと足を進めた。
ぬかるみに沈んでは抜け出し、蔦を引き裂き、汗だくになりながらも足を進める。
進めるごとに、音は大きくなっていった。
注意しなければ聞こえなかったそれは、今や耳をつんざくような轟音になっている。
それでも引き返すことはしたくなくて、彼はゆっくりとだが足を運んだ。
木々の切れ目から斜陽の色が漏れている。
強烈な赤い光に目を焼きながら、彼は歩いた。
やはり歩くスピードは変わらず遅いが、見通しも無くさまようよりは、どこかを目指した方が心は軽かった。
泥だらけの顔が、光に照らされ赤く染まる。
眩しさに目がくらみ、思わず瞼を閉じた。
次に目を明けた時、知らずの内に、感嘆していた。
「すげ……」
密林を抜けた先には、巨大な川があった。
向こう岸はとてつもなく小さい。かろうじて川だと判断出来たのは、右から左へ、濁流が激しく流れていたからだ。時折、大きな幹も流されている。
雨が降ったせいだろう、水かさを増して濁りきった大河は、轟音と水しぶきをあげて少年の前で暴れていた。
初めて見る光景に、唖然とする。
厳しさに遭遇しなかったわけではない。
イタリアでのうのうと暮らしていた、とは言えども、立場のせいか、人よりずっと苦労しているとは思う。
母は殺され、父からは疎まれ、それでも周りからの視線に能うよう努力せねばならず、何のために生きているのか分からない日々を送っていて。
ふつふつとした暗いものを胸の奥にたぎらせながら、じっと我慢して生きてきた。
だが、そんな厳しさとは違う。
もっと、ずっと単純で純粋なものを彼は知らなかった。
荒々しく雄々しく、そこにあるだけで強者であるような暴力に、初めて遭遇したのだ。少年は圧倒され、そこにあるだけのものに思考を支配された。
他を考える余裕なんて無かった。
陽は、うねる大河を照らし出し、真っ赤に染めている。
目に流れ込んだ汗に瞬いて、ぴりりと沁みた目を癒やし、それから一歩進んだ。
暑く、しかも臭い。うるさいし、心地良いとは言えない。
けれど、もしこの川が澄み切っていたら、自分はこんなに感動していただろうか。
していなかっただろうと思う。
静かに流れている川を一瞥して、それで終わっていたのではないか?
これだけ、暴力的であったからこそ、自分はこんなにも泣き出したくなっているのだ。
目の前の濁流のような感情の揺れに抗えず、一筋、涙が流れた。
まるで誘われるようにもう一歩、川に向けて足を進めた。
その時だ。
「【おや、珍しい】」
不意に声がした。
振り返ると、見慣れぬ服装をした子供がいる。
あれは、東洋の伝統衣装ではないだろうか? オランダ人の商人が、あれと同じものを見せてくれたことがあるような気がする。チナだったか。島国の衣装だ。
なら先ほどの言葉はその地域の言葉なのだろうか。
じっとこちらの顔を見つめてくるのに、慌てて涙をぬぐった。
「お、おい」
「【ここの人間ではなさそうですね。毛色と顔から見るに唐の連中か。また面倒な】」
あからさまに顔をしかめられ、舌打ちまでされてはいい気分はしない。
しかし、それよりも明らかに異質なその存在の方が気にかかった。
青い髪の子供の頭頂部にはあほ毛の群生があった。この辺りに生えるというトロピカルフルーツが脳裏を過ぎるが、あえて見逃す。
黄色い肌は東洋人の証。子供だが鋭い黒い目。右目だけが赤く輝くが、これは太陽の光のせいだろう。
西洋人の少年と東洋人の子供という、どちらもこの場に似つかわしくない組み合わせは、じっと互いを見つめた。
「……こんにちは」
ひとまず、何語かは分からないので、通じる可能性のあるポルトガル語で話しかけてみる。
こんな子供が理解出来るかは分からなかったが、他に思い当たる言葉は無い。
「……」
子供はじっとこちらを見上げ、鼻で笑った。
あまりな対応に気色ばむが、次に子供から話される流暢なイタリア語に目を見開く。
「こんにちは? 部外者が一体、こんな辺境の地に何の用です?」
「何だと!?」
「ここはあなたのような人間が、来ていいところではありませんよ。早くお帰りなさい」
諭すように告げられ、かえって少年は困惑した。
「地元の人間はあなたを止めませんでしたか? 何をしに来たのです?」
地元の人間になど出会わなかった。
いきなり密林に帆船で横付けされ、放り出されたのだから。
困惑極める少年は、父からの命令を思い出した。
帆船の中で、父の部下から告げられたその言葉は、何とも不可解なものだった。
「『源泉を汲んでこい』って……」
言った刹那、子供は大きく目を見開いた。そしてそのまま硬直する。
それから、子供は数度瞬いて、困り顔になってしまった。
「……それ、どなたに?」
「父だが」
「そうですか……そうなんですか」
言ったまま、何事かを考えていたようだが、やがて、くふふと笑みを浮かべた。
訝しがる少年をよそに、子供は言う。
「面白そうだから手伝ってあげますよ。付いておいでなさい」
くるりと振り返り、すたすたと木々の隙間に消えていく。ぽかんとそれを見送ったが、はっとして少年はその後を追った。
子供は倒木の合間をすいすいと抜けていく。必死に追うが、どうも歩き方から違うのか、差は広まるばかりだ。
「おい! 待てって!」
呼びかけてようやく、子供は振り向いた。
二人の間に広がる差を見てため息をつく。
「足、遅いですね」
「速過ぎんだよ!」
「そうでしたか?」
「何なんだよ、お前は! 『源泉』って何だ? 俺をどこに連れてくつもりだよ!?」
「どこって……」
『源泉』ですけど、とぽつりと呟く。
子供は息を切らす少年を一瞥した。
ここへ来るまでに歩き続けだったようだ。疲れているのだろう。
ならば、尚更『源泉』に連れて行った方がいいだろう。ここで面倒だからと言って放り出してしまえば楽だろうが、きっと滅茶苦茶に怒られる。怒る人を一人、知っている。それは嫌だ。
汗だくになった薄汚れた少年。
泥まみれの顔の中で、青い目もまた、酷く陰鬱な光を放っている。
まあ、面白そうだから。
一人、勝手に納得した子供は、少年に向き直った。
「僕は六道骸と言います」
「いきなり自己紹介かよ……俺はハヤト・ゴクデラだ」
「……ゴクデラハヤト? イタリア人らしからぬ名前ですね」
「母が、ちょっとな。東洋人だったんだ」
子供は数度、瞬いた。
その様子に、訝しげにする少年は首を傾げる。
「……【こんにちは】」
「いきなり何言ってんだよ」
急に言語を変えた子供は、呆れた風情で少年を見やった。
「挨拶ですよ、日本語のね」
「日本語?」
分かっていないらしい。
骸は、百年振りに出会った祖国の血に、もう一度ため息をついた。
「君の名前は、さしずめ【獄寺隼人】と言ったところか。分かっていないみたいだから教えてあげますよ。君の母親は日本人です」
「日本?」
頷き、骸は獄寺に背を向けた。
あの方は懐かしがってくれるに違いない。百年余りをあの国で過ごしたのだから。
そのまま、黙って骸は歩き始めた。
先程よりスピードを落とす。
それでも必死になって追いかけてくる獄寺を背に感じながら、骸は空を見上げた。
夕方から、もう夜になろうとしている。
もうすぐ夜行性の獣が動き始めるだろう。
それまでに、どうにか『源泉』の元へ行かねばならない。でなければ、自分は構わないが、後ろの人間が困るだろう。
骸は、また小さなため息をついた。
こんなに苦労性だっただろうか、自分は。
必死に小さな背を追う。
どうしてこんなにすいすいと進めるのか分からない。
獄寺は、母の顔を思い浮かべた。
日本人、らしい。
口数は少なかったが、優しい母だった。だが、家の中では微妙な立場に追いやられていたのだと、今では分かる。
どんな思いだったのだろう。
息子に、母国語を教えても良かっただろうに、それすらしなかった。日本、だなんて初めて聞いた。父に禁じられていたのか、あるいは聡明な母のことだ、息子をイタリア人として育てたかったのか。
蒸し暑い密林を駆け抜ける。実際、文字に書くほど颯爽としたものではないが、獄寺は走った。
父からの命の意味は分からない。
しかし、目の前を行く子供は、何となく信用出来そうな気がした。
ただ、小さな身体からにじみ出る、人間らしからぬ異様な気配が気にかかる。
密林の奥へ奥へと進みながら、少年と子供の妙な組み合わせは、先ほどの会話を機に、一切の言葉を発しなかった。
沈黙をまとって二人が進む先、地元の住民からは畏れ敬われる、聖域であることを、今の獄寺は知らなかった。
あとがき
という訳で、獄寺と綱吉の出会い話。
まだこの時は人間です。
プロットでは上中下で終わるはずなんですが……終わるのかな。
山本とかの出会い話も書いてみたいなぁ。願望です。
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