にこにこしながら、その実、一体何を考えていたんだろう?
全てを察しながら、どうして笑えていたんだろう?
本当に、あなたは幸せ、だったのだろうか?
暁光は剣となりて
目から内部へ潜り込む。
表層はどうでもいい。より深く、深淵へ。
意識の奥の奥へと潜り込んだ。
一体雲雀は、何をしていて、何を考えているんだ?
まるで海中を泳いでいるかのような心地だ。だが、やはり荒れている。当たり前か、他人に頭の中を探られて反発しない者はいないのだから。
ディーノは雲雀の記憶を逆行してゆく。先ほどの戦闘、イタリアの空港、飛行機の機内、その前は――?
探り当てようと意識を集中させた時、突如それは起こった。
まず小さな違和感があった。
何が違うかは分からない。だが、何かがおかしかった。
しかしディーノがそれを重要視することはあまりなかった。他人の意識の中にいるのだ。それも古血のだ。何が起こるかは分からない。
だから彼は、強引に、より深く潜ろうとした。
「いけませんねぇ」
聞いたことが無い声が響いた。
今までに無い体験だ。術の使用途中でこんなこと、起こったことが無かった。
そのせいで、第三者の介入、という事実に気付くのが遅れてしまった。
時間にすれば一秒にも満たない。しかし、遅れは遅れだった。
ディーノが第三者の正体に気付いた時にはもう遅い。四方から襲い掛かる植物の蔓からは逃げようがなかった。
雲雀の意識の中で、自分の意識が捕らわれてしまったのだ。
全身を絡み取る蔓にもがくがどうにもならない。
「無様」
そんなディーノの前に、小さな子供が姿を現した。
ぼろぼろの着物を着ている。
真ん中で分けた奇妙な髪型は、子供らしからぬ気味の悪い笑みと相まって、与える不気味さを倍にしていた。
極めつけは幼い手に似合わぬ子供の倍ほどはあろうかという大きな三叉槍だった。
槍の刃先が不気味に光る。
見覚えのある気がするが。どこで見たのか思い出せなかった。
「誰だ、お前」
ディーノの問いに、子供は笑みを深めただけだ。
ぐるんと槍を回して、ディーノに突き付けた。
身体中に巻き付いた蔓の力が強まる。首にかかったそれに彼は顔を歪めた。
「……同情しますよ、『跳ね馬』」
ぽつりと呟かれた言葉に反応する暇も無く、次の瞬間には眼前に鋭い槍の切っ先がいた。
息も出来ない。
凄まじい衝撃とともに、槍はディーノの頭に突き刺さる。
拘束されていた体が自由を取り戻した、と共に、絶叫が耳にやかましく響いた。
何事かと見てみれば、頭部を血だらけにした『闇の父』が膝をついて体を丸め、絶叫していた。
雲雀は目を瞬かせる。
一体何をしたんだ、あの熱帯果実は。
軽く頭を振り、術の余韻を振り払った。
ディーノの拘束のおかげで、若干力は消耗したが、逃げられないほどじゃない。
それに、何故か誰も異変に気付いていないようだった。他にも血族はいるはずだ。例えばディーノの右腕のロマーリオだとか。なのに、ディーノがこれだけ苦しんでいるのに、何故誰も駆けつけて来ないのだろう?
雲雀の視線はうめき声をあげるディーノに向いた。
「……」
ぼとぼとと指の間から垂れ落ちる血液は、床に落ちて奇っ怪な模様を描いている。
古血であるディーノをここまでにするとは、六道の術はなかなかえげつないものだったようだ。
冷静な瞳がディーノを観察する。
さすがに、雲雀は気付いていた。
誰もここへ来ないよう、ここの異変に気付かないよう、術をかけていたのはディーノだった。
そしてそれは、雲雀にここまでぼろぼろにされた今でも、懸命に力を振り絞って術を継続させている。
ため息をついた。
「ただの馬鹿だよ」
誰か呼ぶなりすれば、彼がこうなることは無かったかもしれないと言うのに。
雲雀は静かに、トンファーを振りかぶった。
主の気配の急激な弱まりを感じたロマーリオが、命令を無視して部屋に突入した時には、雲雀の姿はもう無く、後には、倒れ伏した一人の古血がいただけだった。
まだ日が高い。
すぐに灰になる訳ではないが、それでも太陽光が苦手なのが、『導手キャバッローネ』の血族だった。
出来るだけ影の中を逃げ続ける。
南北に伸びた商店街を、雲雀は足早に通り抜ける。私服で来ていて良かった。スーツ姿だと目立つことこの上ない。
まだ一つ、彼にはこのイタリアでやらねばならないことがあった。
白い肌に、汗が一筋流れ落ちる。
焦りを押さえ込み、雲雀は歩き続ける。
玉座に座るのは、ザンザスだけではない。
イタリア、ヴェネツィアーノ。
『炎帝ボンゴレ』に喧嘩を売るような位置に本拠地を構えた血族がいる。
生まれて七十年しか経たない若いその血族こそが、『白首ミルフィオーレ』だった。
始祖、白蘭を指導者に置くこの血族は、若いからこそ、吸血鬼らしからぬ柔軟な発想と科学力をもってして、今ではいくつかの弱小血族を統率する程の力を持っている。その勢いは凄まじく、いずれは『炎帝ボンゴレ』にも並ぶだろうと言われていた。
その王、白蘭は今日もにこやかに笑っていた。
笑顔を見る度、胃がきりきりと痛むのは何故だろう。
眼鏡をかけたグレーのスーツの青年は、イタリアのある屋敷の一室、世界各国の伝統を取り混ぜたような内装の部屋に立っていた。
彼の前には、ロココ調の高価な机に腰掛けた白蘭がいた。椅子を足置き代わりにし、マシュマロの袋を手に持った彼は、また一つ、マシュマロを口に放り込んだ。
マシュマロから落ちた白い粉が白いスーツに隠れて見えなくなる。
「ほへふぇ、ひょーひゃん」
「食べ終わってからどうぞ」
冷たく言い放てば、白蘭は頷いた。しばらく後に、白蘭の喉仏が上下に動く。
「……ごめんごめん。それでさ、混血の王様は何か言ってた?」
「特には。でも、あの後『アルコバレーノ』の『インダコ』に会っています。いつもの定例報告だと思われますが、我々に関する話し合いが無かった、とは言えません」
「ふーん」
「それから、『インダコ』ではなく、『二代目剣聖』にも注意が必要かと。『跳ね馬』同様、沢田綱吉との交流を持っていた男です。今は交流は途絶えていますが、なかなか強かな性格のようですから、もしかすると、」
「それは別にいいんじゃないの? むしろ綱チャンが出て来てくれた方が、僕は嬉しいけどねぇ。彼、引きこもりじゃないの。正チャンといっしょで」
「白蘭さん」
始祖の肩がびくりと震えた。
笑顔で眼鏡を押し上げる正一の目は笑っていない。
「ぼ、僕だってちゃんと考えてるよ!」
「それは良かった。それで、沢田綱吉の動向ですが、『アッズーロ』を守り抜くようです。『アルコバレーノ』や『炎帝ボンゴレ』とはトラブルが多いらしく、あまり派手には動かないでしょう」
「『雷腕ボヴィーノ』はどう?」
「無視していいです。没落しきって動けません」
「……毒舌」
「何か?」
そっぽを向いた始祖にため息をつく。
若いせいか、それとも始祖だからか、それとも元からなのか、奇行の多い白蘭に、正一はいつも苦労させられていた。
始祖と最初に出会った日は、いつでも思い出せる。
色んなものを失い、色んなものを得た日だった。
目を落とした正一の脳裏に過ぎるのは、良く似た二人組だ。きらきらとした琥珀を丸く見開いた笑顔が、いつだって正一を責め立てる。
なぜ、と。
そんな正一を、白蘭はいつも笑顔で受け入れる。
彼らとは全く違う笑顔を浮かべて、両手を広げるのだ。
「僕の血を吸わない? 正チャン」
「……遠慮しときます」
戯れ言に過ぎない。
正一は既に吸血鬼になっている。
今から白蘭の血を吸ったとしても、意味がない。ある血族が他の血族に変わることは無いのだ。
例え変わるとしても、正一は白蘭から血を貰うことは無いだろう。
彼は彼の血族であることを嫌ってはいない。なかなか厄介な血統だが、それでも嫌ってはいなかった。
、七十年、若い王とともに過ごしてきた。
新たに生まれた始祖が一人で生きるには、この時代は難しい。ならば、と、七十年前に正一は、白蘭を助けることを決めたのだ。
「『術将ジェッソ』の血統が、本当に大好きなんだね、正チャン」
「吸血鬼達は、自分の血族に還る。当然のことでしょう」
「それはどうかなぁ。意外と、あってもなくても、同じようなものかも、血統なんて」
ぼんやりと返して、白蘭はマシュマロをまた一つ頬張った。
そんな彼を正一はただじっと眺める。
沈黙は、心地よかった。
もぐもぐと口を動かす始祖。
かつて見たもう一人の始祖も、白蘭とはまた違った朗らかな人物だった。
古血とも言えない年の上、違う血統だと言うのに、優しく親切に接してくれた。
「『炎帝ボンゴレ』はさ、」
一瞬、頭の中を読まれたのかと思った。
タイミング良く発せられた白蘭の言葉に、正一は軽く目を見開く。
天井を見ながら白蘭はお菓子の入った袋を漁る。
「あそこはあそこで、可哀想な血統だよね。特に始祖」
「……」
「それに比べれば、うちの血統の気楽なことだよ。何のしがらみもない。ちょっぴり困ったことはあるけど、それも運命だろうね」
「……どこも同じでしょう」
「そうかも」
がさり、とビニール袋が乾いた音を立てた。
くしゃくしゃにそれを丸めた白蘭が、部屋の隅のゴミ箱に向かって放り投げる。が、入らない。
むっとした顔の白蘭にため息をつき、正一は念動力で入れ直してやる。
ありがとう、という言葉を聞き流して、正一は一礼した。
用事は済んだ。それにいつまでもここにいるほど暇ではない。
『白首ミルフィオーレ』の関係者の中では、年寄りの部類に入る正一は、指揮監督者として引っ張りだこだった。大して年は取っていないのに、と嘆くが、何だかんだで上手くやっている彼である。
くたびれた様子でのそりと白蘭に背を向けた時、不意に声をかけられた。
「『術将ジェッソ』には悪いことをしちゃったって、今でも思ってるんだよ。小さなお姫様には迷惑をかけてしまったし」
殊勝な声。
小さく眉をひそめた正一は、振り返らずに返した。
「『術将』は何とも。どうせ見る陰もありませんから。それより、本当にかわいそうなのは」
泣き叫ぶ声。
鮮明に思い出せるあの日の光景。
いい思い出も悪い思い出もある彼らとの最後の日々。
今まで聞こえなかった時計の音が、やけに耳についた。
かぶりを振って、眉間を抑える。
「白蘭さん」
やはり、正一は白蘭の方を振り向いた。
ん、と鼻で尋ねる白蘭に、彼は戸惑いながらも言う。
「本気、なんですか」
ぽつりと部屋に響いた声。
かち、こち、とリズムを刻む秒針と音が重なった。
白蘭は新しいお菓子の袋に手を伸ばす。
ばり、と袋を引き剥がして、中からクッキーを取り出した。
「本気だよ」
呟いて、始祖はクッキーを噛み砕く。
ちらりと見えた犬歯は白い。
何度か噛み砕き、やがて飲み込んだ。
正一の視線は、うつむいている始祖から外れない。
「それが、僕ら『白首ミルフィオーレ』なんだ」
始祖の視線が正一のそれと重なる。
きっと、と白蘭は言った。
「正チャンや綱チャンには、わからないんだろうな」
ぼんやりと呟く彼に、また一礼した。
もう話は終わりだ。
時間もぎりぎり。白蘭との会話で磨り減った神経もぎりぎり。胃はきりきりだ。
足早に部屋を出て行く。
背に絡み付くような視線を感じるが、無視した。
七十年。
人は長いと言うだろう。だが吸血鬼にとっては短い。この短い間、正一は白蘭と共にいた。
だが、わからない。あの始祖の本意だけは見えたことがない。
廊下を歩きながら、正一は顔をしかめた。
――『術将ジェッソ』はもしかすると、化け物を創ってしまったんじゃないのか?
冷や汗が頬を流れた。
正一を助けてくれる人はもういない。
得体の知れない気味悪さに、正一は一度、身震いした。
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