泣いた。
大声で泣いたとも。
泣いて泣いて泣きまくって、それからやっと頷いた。
本当は嫌だった。
死にたくなるぐらい嫌だった。
だけど、そうしなきゃならなかった。
それが、俺のためだったから。
暁光は剣となりて
古城はやけに静まり返っている。
けれどそこかしこから微妙に縮こまるような気配が伝わる。まるで城が何かに怯えているかのようだ。
バイパーは大廊下を一人歩いていた。
一直線に続く長く太く、天井の高い廊下だ。足下には金で縁取られた赤い絨毯が敷かれ、一定の感覚で古い甲冑が飾られている。絵画や彫刻などが無造作に展示されている上に、見事な天井画が描かれていた。ひんやりとした空気は、研磨された石壁がもたらすものだろうか。
今までにこの廊下は何度か通ったが、いつ見ても感嘆ものだった。
美術的価値、歴史的価値、貴金属的価値、合わせてどれほどの金になるのだろう。想像しただけでよだれが出て来そうだ。
絨毯のおかげで足音は立たない。
ブーツの足を大きく動かした。
もう、目の前には巨大な大扉が見えている。
あの向こうには、お金、いや客が待っている。自然と早足にもなるものだ。
黒檀の扉の片方を押した。
少し重いが、力任せに押し開ける。
扉の向こうが、玉座の間だった。
廊下の装飾は華美であったが、こちらは華美と言うより荘厳だ。
だだっ広い広間は恐らく、古には貴族達が踊ったか、あるいは何らかの式典を行う為だったのだろう。しかし今では、誰もいない。ただ広いだけの空間は、何となく空しい。
赤絨毯は廊下から続いていた。
真っ直ぐ、玉座へと伸びている。
遠慮無しに真ん中を歩き、数段だけの階段の下で止まる。
見上げれば、巨大な椅子に一人座っていた。
赤い瞳がぎょろりとこちらを見下す。
黒衣に巨体を包み、少し伸びた後ろ髪は羽根飾りのついた紐でくくっている。椅子に片足を上げた居丈高な振る舞いは、彼だからこそ似合うのだろう。
何より目を引くのは、元は整っていたどあろう風貌に、醜く走る幾つかの火傷のような痕だ。それが恐ろしげに笑む彼を更に恐ろしくさせている。
人の想像する吸血鬼とは、まさしくこの男そのものに違いない。
城は『炎帝ボンゴレ』の本拠地。
その城の玉座に座る男。
この男こそが、現在『炎帝ボンゴレ』の頂点に立つ、ザンザスだ。
マーモンは息を吸った。
「やあ、ボス。こないだの情報はどうだった?」
言葉は返ってこない。鼻を鳴らされただけだ。しかし上機嫌だということは分かる。
『アルコバレーノ』から転化させられた者が出た、という話はどうやらお気にめしたらしかった。それもそうだろう、彼の大嫌いな『アルコバレーノ』の失態だ。喜ばないわけがない。
「今回の定期報告だけど、いい話か悪い話かはいまいち分からないよ」
「どういう意味だ?」
「こないだの話の続きだよ。コロネロを転化した吸血鬼の血族が分かったよ」
ザンザスの目がすうっと細まった。
マーモンは遠慮無しに告げる。
「『炎帝ボンゴレ』だよ、ボス。あんたの血族、それも古血が、コロネロを吸血鬼にした」
心当たりはあるかい、と問えば、しばらくザンザスは考え込んでいるようだった。が、すぐに視線をマーモンに戻す。
「理由は? コロネロとやらを吸血鬼にした奴とは直接会ってねえんだろ」
「状況証拠だよ。最初は六道骸やら『緋煙』の雲雀やら、血族を特定出来るような名前は出て来なかったんだけどね。……こないだのラル・ミルチの一件は知ってるかい?」
「ああ。吸血鬼に咬まれたんだろ。襲われるのは二回目か、はっ」
哄笑しているが、一回目はこのザンザスだ。マーモンは小さくため息をついた。
あの時の隠蔽工作は大変だった。まあその分、金がもらえたから別にかまやしないが。
「あの時に、また新しい吸血鬼がコロネロを助けに来てね。誰だと思う?」
そこでザンザスはにやりと笑った。
「当ててやろうか、『銀刀』と『悪童』だろう。どちらも先代派。だがそれだけで『炎帝ボンゴレ』の古血が犯人だって言えるか?」
マーモンはザンザスを凝視した。とは言っても、その目はフードの下に隠れている。それでも、口元が一瞬震えたのを、ザンザスは見逃しはしなかった。
どうやら、マーモンはザンザスが情報を握っているとは夢にも思わなかったらしい。
確かに、『銀刀』と『悪童』はあまり名の知られていない古血だ。ザンザスとの関連性も全く無かったと言っていい。しかし、ザンザスが当主になる過程で、色んなものがぶち壊された。
情報量はマーモンが思っているより、多い。
ザンザスは大仰にマーモンを指差した。笑みを掻き消して言い放つ。
「もっとマシな情報をよこせ。『アルコバレーノ』のテメエに金を払っているのは、俺に対する風除けだけじゃねぇぞ」
「……分かってるよ、ボス」
「推測はいらねえんだよ。そんなもん俺でも出来る。いいか、例えダムピールだろうが、今は名実ともに俺が『ボンゴレ』当主だ。分かっているだろうな」
「うん」
頷くマーモンの頬に冷や汗が流れる。
ザンザスからの殺気だけではない。
周囲に潜む幾つかの殺気も感じる。
ザンザスに従う吸血鬼だろう。何人か会ったことがある。どれも手練れだった。戦闘型というよりサポート型のマーモンに、勝てるはずがない。
吸血鬼は己の血族以外には冷たい。
気分を損ねるのは、得策じゃあない。
「……ボス、前に言ってた古血の話だけど」
「何だ」
「名前を教えてくれないかな」
赤い目玉がマーモンのフードを突き刺すように見つめる。その下の瞳をえぐり出さんばかりだ。
ザンザスが執心している古血がいることは知っていた。
スカルが連れてきた三人の吸血鬼の探し物を聞いた時、もしやと思ったのだ。
「今更『炎帝』を探す理由なんて無い。むしろ、おびき寄せる為の餌じゃないのかい? ボスが探してる古血は、かなりの大物だろう。もしかして、『炎帝』と会ったことがあるほどじゃないかい?」
一度切って様子を窺う。
ザンザスは無表情にマーモンを見下ろしていた。
「ボス、あんたは焦ってるように見えるよ。ボスらしくない。それとも」
マーモンは声量を上げた。
「『白首ミルフィオーレ』と、何かあったのかい?」
ひく、と、ザンザスの表情筋がようやく動いた。
緩慢な動作で身を起こす。
いつの間にか、周囲に満ち充ちていた古血達の殺気は消えていた。
切り札を切ったマーモンは、内心でほっと息をつく。
博打は嫌いだ。求めるのは確かな価値のみ。
このところ『白首ミルフィオーレ』が不穏な動きをしていることは『アルコバレーノ』にも情報が届いていた。それも欧州で。いずれ、欧州一の血族である『炎帝ボンゴレ』とぶつかるのは目にもの見えていた。
「『白首』はここ七十年ほどの若い血族だろ? ボスが恐れることなんて何も無いんじゃないかい?」
「……マーモン、うるせぇよ」
口が過ぎた。
明らかに機嫌を損ねてしまった。
そろそろバックレようかとマーモンが思った時、ザンザスが口を開いた。
「老いぼれを殺した時、会った古血を探している。二十代の男だ」
「……名前は?」
「本名かは分からねー、が、じじいはツナと呼んでいた」
情報が少ない。
違和感がある。
ザンザスは情報を出し切っていない。出せないのか、出さないのか、どちらだ。
血族の秘密になると吸血鬼達は途端に貝みたくなる。ザンザスとて、自分では気付いていないだろうが、血族のしがらみに捕らわれている。
ダムピールだからこそ、か。
『アルコバレーノ』の中でも、スカルに次いでマーモンは情報分析力に長けている。観察と整理を欠かさないのは、金になるからだ。
それでも今回は景色が不透明だ。
古血、古血、古血、古血……。
イレギュラーばかりで、振り回されっぱなしだ。気に食わない。
「……分かった。ひとまず探してみるよ。じゃあボス、また次の定期報告でね」
「ああ」
今日のところはこれで終わりだ。
マーモンは踵を返して玉座に背を向けた。
この時代に玉座。いささか時代遅れかと思ったがそうでもない。
何となく、広間にいるはずの無い貴族達が玉座を仰いでいるのが見えた気がした。
涼しい夜だ。
パジャマ姿のまま、クロームは庭に出ていた。
月を仰ぐ。
吸血鬼はこの黄色に惑わされるらしい。
あの金髪がやらかした騒動は、骸様から聞いて知っている。散々呪詛のような愚痴を聞かされた。
骸様の大切な人は無事だったんだし、ダメージを負ったのは金髪だけなのだから別に構わないような気がするが、どうも後始末に駆り出されたのが気に食わないらしい。
クロームは首を傾げた。
ボスは優しい。
あの綺麗な目で見つめられたら、引き込まれそうになる。
だから、会ったばかりなのに、色んなやつに引っ張りだこにされて悔しい。もう少し、お話してみたいと思う。
あいつらは今までたくさんボスと一緒にいたのだし、少しぐらい譲ってほしい。
ため息をついた時、背後から声をかけられた。
「クローム」
振り返るまでもない。この低く柔らかい声音は一人しかいない。
骸はクロームの隣にまで足を進めた。
「あまり体を冷やさない方がいい」
「はい、骸様」
無意識の内に腹を押さえていた。
なめらかだ。痛みも無いし、血も出ていない。
ほっと息を吐けば、骸がおかしそうに笑っていた。
「大丈夫ですよ。僕の幻覚は強力だ。君が死んでも内蔵だけは残るくらいにね」
「はい、不安はありません。でも思い出すと怖くて」
あの時、この方に出逢っていなければ、私はあのまま死んでいただろう。
交通事故で死にかけていた私は、夢の中で偶然に骸様に出逢った。幻術師の素質があったらしく、気まぐれに助けてもらった。いや、本人は気まぐれだと言っているが、本当はものすごく優しい人なのだ。
ふむ、と考え込んだ骸がくふと笑った。
「吸血鬼にでもなってみます? 転化のエネルギーは奇跡を起こすらしいですよ」
「まさか! 骸様を差し置いて、そんな。骸様の意地が解けてから、ゆっくりボスに転化してもらいます」
「クローム、何だかお前、性格が悪くなっていませんか……?」
あいつらの悪影響か、とため息をついた骸の隣で、クロームは無意識の内に微笑んでいた。
優しいボスと大好きな骸様。
二人がいれば怖いものなど何も無い。そんな気がする。
見上げたクロームに気付き、骸は微笑む。
赤と青の優しい瞳。この人の目も、吸血鬼と同じ妖瞳だ。人を惑わし、騙す目。
だけど、ボスと骸様の目だけは真っ正面から見たい。
「クローム」
「はい」
「お前は、千種や犬とは違う。まだ自分で幻術を扱いきれていない。その欠けた内臓も含めて、後十年は僕の助けがいる」
「はい」
「だから、もし」
少しだけ、骸は言いよどんだ。
「もし、この十年間に、僕に何かあればお前が生きるのは難しい」
「……はい」
哀れむ視線を見返した。
承知の上で生きているし、骸に従っている。むしろ感謝と畏怖を感じてやまないぐらいだ。
「僕に何かあれば、お前は誰に頼るべきか分かりますか?」
咄嗟に浮かんだのは、一人の吸血鬼だった。
骸様と同じぐらい大好きな人。
「ボス?」
「はい。綱吉君なら、君を助けてくれるはずだ。いいですか、クローム。みっともなく足掻きなさい。それがお前の助かる道です」
「……どういう意味でしょうか?」
笑い声が返ってきた。
先ほどまでの神妙な表情は欠片も無い。不敵に笑ういつもの吸血鬼嫌いの六道骸だ。
何となく、安心した。
余裕綽々の骸様が、一番好きかもしれない。
不意に、強い風が吹いた。
空気をかき乱し、うなり声をあげて通り過ぎていく。
思わず小さな悲鳴をあげて身をすくめた。
「時がくれば分かりますよ、凪」
骸の言葉は風にかき消され、クロームの耳には届かない。
一陣の風に髪を遊ばれ、骸は薄く笑みを浮かべた。
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