――喉が渇いた。
そう言ったとき、振り返ってこちらを見た奴の顔は忘れられない。
己の罪深さを嘆くのか、それとも自身と同じ血に染まったことに安堵したのか、半笑いの情けない顔。どうしようもない笑顔。
そうか、と一言だけ呟いて、彼は首をひねった。
じゃあ、村に下りるか。
呟いて、顔をそむけた彼の背中では、今より長かった金髪がうっとうしく揺れていた。
それからこちらを振り返った顔。いつも通りのその顔を見て、何だか笑い出したくなったのを覚えている。
その時は何故笑いたくなったのかは分からなかったが、今ではわかる、気がする。
いまさら取り繕っても無駄だ。
どうせ一緒なのだ。どうせ、同じ血。同じ血統。僕らは血そのものだったのだから。
分かってしまった。
ようやく一人じゃなくなった。
そう思って、ほっと息をついてしまった、闇の父の情けない姿を。
暁光は剣となりて
久々に腕によりをかけて作ったケーキやらクッキーやらは、瞬く間に一人の女性の口へと消えていった。
大きなテーブルだというのに、その半分はケーキ皿などで溢れている。それをがつがつと食べるのではなく、あくまでも愛らしく、しかし素早く効率良く問答無用で食していくその光景に、呆れつつもリボーンは何だか真新しいものを見ているような気分に浸る。実際、こんな光景は初めてな気がしていた。
高度対吸血鬼部隊『アルコバレーノ』の事務所、とは言っても、たった七人の為に、ある高層ビルの十二フロアを独占しての巨大なオフィスだ。一人に一フロア、残りの五フロアは、訓練場や会議場など公共用の施設や、来賓の為の設備が置かれている。現在リボーンは自分の為の階の一角にある洒落たキッチンルームにいた。
たまに本格的な料理をしたくなる、というリボーンのそれだけの理由で作られたこのキッチンには、それこそプロの料理人が使うようなコンロや包丁が普通にある。シエナとホワイトを基調に、居心地良く色を設計されたキッチンと、十数人は入れるダイニングが、フロア改装の際のリボーンの我がままの一つだった。
別に誰に振舞うつもりでもなかったが、何だか作りたくなったので作った、ただそれだけだったが、思わぬ形でそれが役立った。
六人がけのテーブルには四人の男女が座り、リボーンは作ったコーヒーをそれぞれの前に置く。最後に自分の席についてから、遠い眼差しでそれを見た。一心不乱に甘いものを食べる女性を見る呆れた視線は合計で四つ。
一つはリボーンのもの、それから同じく『アルコバレーノ』のスカル、そして残る二つは女性の仲間である男女のものだった。
前者二人は人間であり、後者二人は吸血鬼である。
そのことをまじまじと考えたリボーンは、これはもしかしてとてつもない快挙なのではないかと考えた。
政治的な意味合いを持つとはいえ、吸血鬼を殺す部隊のオフィスに、友好的な吸血鬼が自ら侵入して来たのはこれが初めてのことではないだろうか。『アルコバレーノ』の基地内で、これほど無用心にケーキを頬張る吸血鬼が未だかつていただろうか、いや、いなかった。
ぼんやりとそんなことを考えていたが、スカルの咳払いで我に帰る。
大食漢――この場合大食女になるのか?――を見ていた二人の吸血鬼もはっとして、ダイニングキッチンの椅子の上で姿勢を正した。
この二人の前には、赤く汚れたパックが数袋転がっている。
中身は空だが、少し前までは赤黒い液体がパックを満たしていたことは用意に想像がついた。
「持田と黒川、笹川と言ったな? ここまでしてやったんだ、それ相応の情報は頂こうか?」
ボルサリーノをくいと上げ、にやりと笑って見せたリボーンに、綺麗になった男女二人は頷いた。笹川は未だ視線がケーキ皿に向いている。
外へ情報収集へ出かけていたスカルが帰って来たのは一日前だ。
三人の吸血鬼、しかも古血という面白い土産を持って帰って来た彼にはもちろん、銃弾を数発くれてやった。約束だと言うので、風呂を提供し、服を提供し、彼らの食事である血液パックを供給し、甘いものが食べたい、と呟いた可愛らしい少女の為に即席パティシエにまでなってみせたのだ。
形から入るリボーンは、パティシエ姿にボルサリーノという突拍子も無い姿で三人を視線でなめた。隣に座るスカルも、ヘルメットを外してはいないものの、無言の圧迫感を放っていた。
例え、相手が古血であろうとも、『アルコバレーノ』は負けやしない。それだけの力がある、設備がある、実績と自負がある。
こうしてくつろいでいる風の三人だが、この建物からは出ることは出来ない。この建物は対吸血鬼用の結界がいたる所に何重にもしかれた上、銀を編みこんだ壁や扉、絨毯など、世界屈指の対吸血鬼の拠点たりえる防御を誇っているのだ。そして、何より、ここは『アルコバレーノ』である。人でありながら、人ではなくなった呪われた対吸血鬼部隊。たった七人の精鋭が、このビルにはいるのだ。
持田は目を細めた。
この目の前の変なコスプレ野郎も、隣の変態ヘルメットも、二人共『アルコバレーノ』なのだ。転化して百五十年余り。古血と名乗れるほどになった自分では、決して勝てる相手ではない。何しろ、『アルコバレーノ』の売りは、たった一人で古血を相手に出来る点にある。それほどの能力の高さに、自分如きが勝てるはずがなかった。
「何が聞きたい?」
「ひとまず、何でテメーらがあそこにいたか。それから誰が、どんな理由で、どうやって、あの屋敷を襲撃したのか。後は……、そうだな、『緋煙』と『六道骸』について知ってることがあったら話してもらおうか」
つらつらと挙げたリボーンに頷き、持田はそれじゃあ、と口を開いた。
「俺達が、『炎帝ボンゴレ』の血族だって話はしただろ。前当主の命令があってな、それであの屋敷にいたんだ」
「ちげーよ」
リボーンが言い放つ。
黒川が肩を震わせ、笹川はケーキを頬張る口を止めた。
スカルがちらりと横を見れば、うっすらと笑うリボーンの顔が目に入る。その瞳はまったく笑っていない。ちろちろと妖しくさんざめき、傲慢に見下している。
持田が笑い返したが、その頬は若干硬かった。
「そんなことは知ってる。俺は何で、っつったんだ。その命令の中身まで包み隠さず言え」
「……知ってどうする」
「さあな、聞いてから考える」
眼力に押され、気後れしながらも持田は睨み返した。
「悪いが、言えない。言えば俺達が血族に殺される」
「それほどの内容、『アルコバレーノ』が見逃すとでも思ってんのか。逆に聞き出すに決まってんだろ、馬鹿」
四百や五百を生きた古血と相対する程の力を持つ『アルコバレーノ』を相手にしては、分が悪かった。
小さく舌打ちした持田は、少しの間、悩むかのように目をつむったが、結局は心配そうに見守る連れ二人の前で重い口を開けた。
「『調査』だ」
「持田、あんた」
黒川が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「花ちゃんっ」
「京子、あんたは黙ってな。どういうつもり!? 『アルコバレーノ』なんかに話していいことじゃないよ!」
「話そうが話すまいが、結局聞き出される。それだったら自分から情報を提供した方がマシだろ。まがりなりにも需要供給がなりたってんだからよ」
「だからって……!」
納得のいかない風の黒川の腕を笹川がぽんぽんと叩いた。
何事かと振り向いた黒川に、彼女はにっこりと笑って言う。
「助けてもらったらいいんじゃないかな」
可憐な顔つきの女は、首を傾げた。
「『アルコバレーノ』の人達だって、『ボンゴレ』と手が切れてしまって困ってるはずだよ?」
そうでしょ、と微笑みかけられたリボーンは無表情でその顔を見返した。
実際その通りだが、それを自ら認めるのは何となく気に食わない。
今まで『アルコバレーノ』が吸血鬼と一定の線を引いて活動してこられたのは大血族である『炎帝ボンゴレ』の協力が大きい。協力があったからこそ、吸血鬼から潰されることもなく、ここまで『アルコバレーノ』が成長出来たのだ。そして成長してからも、人と吸血鬼が間違った形で交わることの無いように、と当主自らが配慮をし、血族に徹底させた。欧州一の大血族がそうなのだ。同じ欧州に根付く他の血もそれに追従し、表面上は安寧を得ることが出来ていた。
だが、優しそうな爺の当主は殺され、次代の座をザンザスという子が強大な力をもって奪い取ったという。ザンザスの顔すらわからず、その上、協力態勢をとっていた血族の方針を急転換させて、一方的に『アルコバレーノ』とのパイプラインを断ち切ってしまった。使者として部下を送ったが、未だ帰って来ていない。
更に、『炎帝ボンゴレ』だけではなく、ここ二百年の内に誕生した『白首ミルフィオーレ』という大陸系の新興血族までもが欧州に手を伸ばして騒がせている。こちらは表面上はそれ程大きく動いてはいないが、影で国に入りこみ、暗躍している。いずれ、『炎帝ボンゴレ』と『白首ミルフィオーレ』が衝突するのは目に見えていた。
そんな時に、『炎帝ボンゴレ』の弱みが手に入るのは正直嬉しい。
リボーンはスカルと頷きあった。
三人の吸血鬼に向き直り、スカルが言う。
「教えてくれ」
笹川は愛らしく笑う。
そして、黒川や持田が止める間も無く、あっけらかんと言い放った。
「『炎帝』を探しに来たのよ」
時間が、止まったような気がした。
先日、買い物に行ったばかりだというのに、またもや勃発した雲雀と骸の喧嘩のせいで二部屋が崩壊、そして冷蔵庫が完全に破壊されてしまった。
空腹を抑えながら、コロネロは溜息をついて森を散歩している。
暗い夜空には、月が無い。
新月である今日は、何となく不調だ。満月の身体に満ちる力を経験しているせいか、心もとなく感じる。
寝巻きであるジャージ姿の彼は、運動靴をはいて土をふみしめた。
ただでさえ月が無く暗い夜だというのに、星明りまでも木々が遮ってしまっていて、辺りは真っ暗だった。緑を極限にまで濃くしたような色の森の中を、気配だけでコロネロは歩いてゆく。
木々の気配、岩の気配、獣、川、風など、気配だけが、彼が今許されている感覚の全てだった。
別段、吸血鬼になってから出来たわけではない。『アルコバレーノ』であった頃にも、似たようなことは出来ていた。そうでなければ『アルコバレーノ』足り得なかった。
そんな昔を思い返しながら、いつもとは違った飢餓感に眉をひそめた。
何だろう、これは。
濃緑の暗闇に、ちろちろと何かが潜み、こちらの様子を窺っているような、常に肌が粟立つような、気持ちの悪い感覚。
腹が減っているだけではない。
強い飢餓感と同時に、口内から喉にかけて極端に乾いているような――。
「あ」
血の気が引いた。
わかった、わかってしまった。
考えれば簡単なことだ。
俺の存在を考えれば、当然のことだったのだ。
赤が欲しい。
真っ赤な水。体内を流れる脈動。人の原点原液が、欲しい。
気付いてしまえば後は簡単だった。
コロネロはその場に立ち尽くす。
暗い森の中で暗い視界でも、脳を支配する赤から逃れることは出来なかった。
血が欲しい。
どくん、と心臓が大きく跳ねる。
どくん、どくん、と緊張のせいでせわしないリズムの鼓動は、知らず知らずの内に、コロネロを追い詰めてゆく。
脳裏によぎるのは、今まで自分が見た浅ましい光景だ。
人に群がり、皮膚を食い破り、真っ赤に濡れた顔を拭いもせずに、血液をあさる吸血鬼どもの姿だ。
覚悟していたはずだった。
待つ、と言った幼い闇の父の為にも、そして自分自身の為にも、全てを受け入れたはずだった。
俺は、吸血鬼だ。
だから、血をすする。
飲まねばならない。
血など今まで見慣れてきた。どろどろになりながら痛みに耐えた任務だってあった。返り血を浴びて真っ赤になった時だってあった。しかし、他人の皮膚に牙を立て、血管を食い破り、血液を吸い上げ、啜ることが出来るだろうか。
舌で鉄分を味わい尽くし、それを嚥下する。
俺に、それが出来るだろうか。
吸血鬼であることに、何故、今これほどまでに後悔を覚えているんだ?
あの時、決意したのではなかったのか?
覚悟だなんて、本当に出来ていたのか?
愕然として立ち尽くす。
拳を握り締め、虚空の中で目をつむる。
コロネロは、小さく首を振った。
「出来ねーよ……」
現実と理想は、違う。
知っていても、コロネロは知らなかった。
後書き
本当久しぶりに書くと、文章をどうしたらいいのかっていうのを全部忘れてしまっていて困った。
ひとまず、吸血鬼ものなんだから、今まで無かった吸血シーンを今後取り入れたいなぁ。ってノリで、最後を追加してしまった。
黒川と京子の組み合わせは結構好きだ。ノリがのほほんとしてて可愛い。
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