●ぬら孫(牛鬼と子若と奴良組)
総大将に孫が出来たのはもう六年前になる。
総会のために縄張りの西端から出て来た牛鬼は、きゃらきゃらと笑う声に、屋敷の外廊下で足を止めた。
庭を見れば、騒がしい。
穏やかに晴れた春空の下を走り回る男児は、半ズボンにTシャツ。活動的過ぎるらしく、世話人達はてんてこ舞いだと聞いた。
現に、今も武闘派であるはずの黒田坊が、庭に空いた落とし穴から出ようと四苦八苦している。助けを求めているようだが、既に首無しは隠された首を探して回っており、雪女は松に吊り下げられて涙をこぼし、わめく青田坊は池に落ちていた。
悪戯好きは総大将の血だろうか。
四匹もの妖怪を罠にはめ、ご満悦の男児は腹を抱えて笑っている。
楽しげな様子が、不意に気になった。
妖気を完全に隠し、木の廊下から庭へ素足を下ろす。
影から陽向へ出ると、急に暖かくなる。少し太陽は眩しかったが、そのまま、物音を立てぬように男児に近付いてゆく。
彼は背後に忍び寄る気配に気付いていない。
そう、このまま――。
何とかして黒田坊が落とし穴から這い上がり、首無しが茂みに隠された首を見つけ、雪女がようやく地面に足を付け、青田坊が濡れた体をぶるりと震わせた時。
「わあっ」
悲鳴が上がる。
すわ何事かと見てみれば、リクオは宙に浮いていた。
軽々とリクオの体を持ち上げた牛鬼は、男児を肩に乗せる。
短い足を牛鬼の両肩に乗せ、リクオの顔が輝いた。
「高い!」
いつもの倍ほどの目線の高さは、どうやらお気に召したようだった。
「そうだろうな」
「牛鬼! あっち、あっちも行って!」
はしゃぐリクオに優しげに笑い、それから指差した方へと歩いてやれば、なおはしゃぐ。
肩にかかる重みは、やはり軽い。
四分の一しか妖怪の血が入っていないからだろうか。
不思議に思いつつも、そう言えば、子供を肩車したのはこれが初めてだということに気付いた。
伝わって来る熱は、心地良い。
「牛鬼はいつもこんなのを見てるんだ。いいなぁ」
髪を軽く引っ張られてぼやかれる。
「お前もいつかは見れるようになる」
「今、見たいの!」
ぶすくれるリクオが、次はあっち、と今が満開の桜を指差した。
「大人になるまでの辛抱だな」
「えー……。って、別にいいや! 牛鬼が見せてくれればいいじゃん!」
「……は?」
支えている足がぱたぱたと動いた。
頭上で笑うリクオは、桜に手を伸ばした。
いつもより近い花の匂いをかいでいる。頭を花の中に突っ込んで、笑っていた。
「また肩車してよ。牛鬼は肩車上手だし」
花びらを頭にくっつけてリクオは言った。
「……なるほど、構わんぞ」
「やったぁ!」
「リクオ様ー! ワシらとて肩車ぐらい出来ます!」
黒田坊が叫ぶ横で青田坊が大きく頷いた。首無しもそろりと手を上げる。
「黒田坊は肩が狭いし、青田坊は危なっかしいからやだ! 首無しは肩車、無理じゃんか!」
あまりな言いように落ち込む面々を見て、くすくすと雪女が笑った。
いつもより騒がしい庭に気になったのか、年老いたぬらりひょんも達磨と鴉天狗を引き連れて、知らぬ間に姿を見せていた。小さな妖怪もわらわらと寄ってくる。
悪くはない。むしろ良い。
はるか昔に奴良組と杯を交わし、それ以後、奴良組の為に尽くしてきた。
牛鬼は、奴良組を愛している。
今までだってそうであったし、これからだってそうだろう。
まだ覚醒していない幼い跡取りは、彼の肩の上で、楽しげに笑っている。
いずれ訪れる争乱まで、穏やかに過ごすべきだ。
ゆっくりと、ゆっくりと育むべきだ。
妖怪だらけの庭で、牛鬼は男児の足を支える力を少しだけ強めた。
優しげに笑む。
守るべきは、組だけではない。
「リクオ」
呼びかければ、彼は牛鬼の顔をのぞき込んできた。
「何?」
問われて、少し意地悪い笑みを浮かべる。
「はしゃぎすぎて落ちるなよ?」
落ちないよ、とむっとした声。
牛鬼は、目を閉じ、笑んだ。
●反逆(魔王と魔女)
もわん、と部屋中に広がる匂い。
刺激的で胸焼けのしそうなそれに、くらりと目眩がする。
自室に入ろうとしてドアを開けた瞬間のまま硬直していたルルーシュは、ふらりと壁にもたれかかった。
「……俺の部屋が」
いつまで経っても入ろうとしないルルーシュの部屋では、緑色の長髪の若い女がベッドに寝そべっていた。
ファッション雑誌をぺらぺらとめくる彼女の手には、チーズがふんだんにかかり、とろけ落ちそうなピザのピースがある。可愛らしい口でかぷりと噛みつき、引き伸ばせば、チーズが糸を引いた。
香ばしい香りに鼻をひくひくとさせ、ぽろぽろとパンくずを落としながら、ピザを頬張った彼女は、至福の表情を浮かべる。
念のために言うが、これは全てベッドの上での出来事である。
山積みのピザの箱に囲まれた女は、固まったままのルルーシュを見やった。
「何だ? いつまでそこにいるんだ」
平然と言ってのけたC.C.に、ルルーシュの頬がぴくりと引きつった。
「ふざけるなよこのピザ女!」
「ふざけてなどいないぞ。そうカリカリするな、童貞坊や。美女が自分のベッドの上にいて、興奮する気持ちは分からなくもないが……」
「俺は童貞じゃ……いや、今はどうでもいい」
「ほお?」
ぷるぷると拳を握りしめたルルーシュは、堪えきれない叫びをあげる。
「ピザを俺の金で食べるのは許してやる……だけどな、それをベッドの上で食べるな!」
「なぜだ」
「汚れるだろうが! パンの食べかすをこぼすな! トマトソースをこぼすな! 部屋がピザ臭いんだよ!!」
「うるさい。私はC.C.だぞ?」
「だからどうしたぁー!!??」
渾身の叫びをあげたルルーシュは、肩を上下させている。
体力が無い彼は、こんな事でも疲れるらしい。
情けないな、と内心で思いながら、C.C.は食べかけのピザをルルーシュに差し出した。
「いるか?」
「いらん!」
きっぱりと言い放ったルルーシュは、部屋から慌ただしく出て行った。
荒い足音で走り去った音の後に、がたがたと何かを引っ張り出す音が聞こえてくる。大方掃除機でも出しているのだろうな、とあたりをつけたC.C.は、のそりとベッドから起き上がった。
うるさく言われる前にさっさと退散しよう。
最後の一切れをぱくりとして、彼女はベッドから下りる。
直に、口やかましく掃除し始めるに違いない。早々に行方をくらますべきだ。
「ナナリーと遊ぶか……」
呟いた彼女はお気に入りの人形を胸に抱いて、大量のゴミとピザの臭いが残る部屋を出て行く。
掃除機を持って来たルルーシュが発狂する、三十秒前のことだった。
●奪還(VOLTS)
「あなたは未来で、万年金欠に悩まされ、食う寝るに困り、日々の生活すらままならず、十円玉に遊ばれる人生を送ることになるでしょう」
無限城、下層階【ロウアータウン】。
廃棄された巨大なビル群の下層部、法の秩序や平和などからは一線を画したゴミ溜めの街である。平穏な人生を送る人間は決して近付くこと無い、血と硝煙の臭いが立ち込めた場所。弱肉強食が暴力でまかり通る。
ただ、最近ではそう酷くもなくなった。
相も変わらず中層階【ベルトライン】からは略奪者が訪れ、暴虐の限りを働くし、法律が意味をなさないのも前の通りだったが、近頃ではある程度の秩序が生まれ始めていたのだ。
「……」
新たなる秩序の象徴たる少年は、オリエンタルな衣装を着た美女が、道端に座り込み、広げたカードを弄びながら告げた言葉に絶句していた。
彼の背後にいる四人の男達も、言葉を見失っているようだった。
占い師は、若干気まずい空気に顔をしかめた。
恐る恐る少年の様子を伺うのは、ショッキングな結果を告げられた少年に対する気遣いだけではない。
そうは見えないが、彼女の目の前にいるのは下層階の帝王で、背後で苦笑いしているのは彼の親衛隊だ。それこそ、少し前までの下層階を恐怖のどん底へ陥れていた面々である。気分を損ねたのではないかと気に病むのは当たり前だった。
少年は二、三度瞬きをすると、ジーンズのポケットに右手を突っ込み、財布を取り出した。中から硬貨を取り出すと、路傍の占い師に渡す。
「食べ物に困るのは嫌だな」
にこやかに笑う少年から代金を受け取った占い師は、ほっと内心で息をついた。逆鱗に触れることは無かったようだ。
一番凶悪な噂を持つのが、目の前の少年だった。
「下層階にいる限り、経済面はあんまり心配する必要は無いですよ」
酷い占託を受けた少年より更に若い銀髪の子供がひょいと顔を出して言う。
その言葉に、野性味の強い風体の男が同意した。
「確かに、心配するべきは上の奴らだな」
「最近、東の方が酷いらしいですよ」
男か女だか見た目には良くわからないが、声を聞くにはどうやら男らしい。そう付け加えた彼は、首を傾げた。
「他にありますか?」
何か言いたそうにしていた占い師に気付いたのか、彼は占い師を促した。
少年も目をぱちくりとさせると、話を聞く姿勢に戻る。
彼女は頷いて続きを口にした。
「その、……大切なものは離れて、取り戻すのは難しいでしょう。それから、多くの絶望があなたを待ち受けるでしょう。ここ二、三年は悪いことばかりです。爬虫類にはご注意下さい。屍にも近付かない方が無難です。虫系統にも難ありです。揺りかごも安全とは言えません。博打は大損でしょう。それから――」
「ストップ」
この中で一番年長と思われる男が、初めて口を開いた。占い師を止めた彼は、苦笑する。
何事かと思えば、少年は明らかに落ち込んでいて、若い子供が笑いを堪えながら慰めているところだった。
どうしようかと、年長の男に助けを求めれば、彼はウインクした。
「いい話だけ教えてくれ」
言った途端に少年がはっとする。
「そうだよ! 頭いいな、柾木」
「お前が馬鹿なんだ」
「そこが銀次さんのいい所だよ」
「MAKUBEX……馬鹿にしてない?」
「そんな事は無いですよ! ねえ、士度君!」
「俺は銀次と同じ馬鹿だからな、わかんねぇよ」
「ちょっと、見捨てるのかい?」
「まあまあ、ひとまず聞いてみたらいいんじゃないかな」
「うるせぇ、カマヤローは黙ってろ」
「そうやってすぐ喧嘩を売るよね、野蛮人。まあ花月君がウルサいのは確かだけど」
「……君達、別に僕は君達がいなくても全く構わないんだけど?」
辺りに獣の臭いが立ち込め始め、無数のうなり声が聞こえてくる中に、りん、と可憐な鈴の音が響き、そんな様子を冷静に見つめる二つの瞳と、ひっきりなしにキーボードを叩く音がする。
笑顔で殺気を放つ背後を無視した少年は、怯える占い師に続きを促した。
「いいことだけ教えてよ」
「は、はい……。
あなたは、頂点への階段へ上ることになるでしょう
」
「雷帝のことか?」
柾木と呼ばれていた男が素早く尋ねるが、占い師は首を振った。
「分かりません。ただ――
悪くはないです」
ついに三つ巴が激化するが、気にもとめずに少年は鸚鵡返しに呟いた。
「悪くはない?」
「……はい」
「なかなか難しいね」
少し考え込んだが長続きせず、まあいいや、と言った少年は、占い師に礼を告げた。
そろそろ見回りに戻らねばならなかったし、背後の嵐を止めねばならなかったからだ。
今は嵐に参加していない柾木も含め、四天王と呼ばれているはずなのに、別段彼らは仲がいいという訳ではない。
何故自分がリーダーなのか最初は納得いかなかったが、何となく今ではこれでいいような気がしていた。
周りも納得しているのだから、いいんじゃないかな、という若干間抜けな思考でもある。
呆気にとられる占い師の前で、瞬く間に嵐は鎮まり、四天王を引き連れた雷帝は早々に立ち去った。
凄まじい嵐の痕跡と、また来るね、という言葉を残して。
引きつった笑顔で見送った占い師が、この場所で商売をすることは二度と無かった。
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