資格がほしかった。
あなたの隣にいる資格が。
ただ、俺にはその資格が無くて。
そして、一生、手に入らなくて。
それを知ってしまった。
暁光は剣となりて
煙草を吸い出したのはいつだったろう。
紫煙を薄く開いた唇から吐き出しながら、紫に染まる空の下でぼんやりと思い返す。
そう遠い昔ではない、と思う。
はあ、と息を吐き出せば、白く空気が染まる。冬の硬い空気に身を震わせて、ポケットに手を突っ込んだ。
イギリス、ロンドンの街並みを歩く獄寺の隣には、彼より長身の男がいる。街並みにそぐわぬ風貌。男は東洋人だった。
「……あ、次の角、左なのな」
「わかってる」
短く返しながら、行き交う人をかわした。
仕事を終え、帰宅どきなのだろうか、小さな道に人が溢れている。楽しげに、どこの酒屋へ寄るかと話し合いながら。
数十年前の工場の機械化で一際躍進した国だ。一つ一つを流れ作業で手を加えていたそれまでとは違い、大量生産が可能となり、取引量も消費量も格段に増えた。自然と国庫も潤い、金回りの良くなった人々の笑顔も一際眩しく見える。
「それにしても、面倒な任務だよなぁ」
「何が」
「んー? だってさ、回収目標の特徴からしてふざけてると思わねえ? 『見ればわかる』って何それって感じ」
愚痴をこぼす東洋人を冷めた目で見やる。その視線に気付いたのか、彼は不意に口をつぐんだ。しかし興味深そうにじろじろとこちらを見てくる。
煩わしい視線を無視して、獄寺は足を早めた。今は混雑している道だが、酒場や家へと労働者達は直に向かうだろう。そうなれば、目立つことこの上ない。
今回の任務で初めて組んだ男だが、自分とはあまり反りが合わなかった。会話は続かない。
脳天気そうな見た目通りだ、と内心あざける獄寺が、仲良くなど出来る訳が無いのだ。相も変わらず、上辺だけでも親密に出来ない男だった。
彼らの行く先は決まっている。
孤児や浮浪者が多く暮らすスラム街が目的地だ。
「んーと、次ってどっち?」
呑気さに苛つく。舌打ちして、応答もせずに獄寺は足を進めた。背後から慌てる声が聞こえてくるが、かまやしない。
ずんずんと肩をいからせながら歩いて、スラム街を目指す。
進むにつれて、少しずつ景色が変わっていった。
賑やかな景観は寂れたものになり、どんどん不衛生さを増してゆく。辺りに漂うのは、鼻が曲がりそうに強い溝の臭いだ。思わず顔をしかめる。
潤う国庫とは裏腹に、ロンドンの闇の部分は濃くなったようだ。
路上生活者の姿がちらほらと見えだした頃、獄寺は不意に足を止めた。
小さな公園があった。
公園とは言えど、広い土のスペースにあるのはベンチが一つだ。そして、所狭しと建てられた端切れのテントがある。材木を組み立てて作られた小屋もあった。
藍に近くなってきた紫色の空の下、公園の中央では炊き出しが行われており、白い煙が細く天へと延びていた。それに群がるように、小さな子供や大人が入り混じって分厚い人だかりを成している。人だかりの中心は良く見えないが、出て来る人を見るに、スープとパンを配っているらしい。どこかの教会の慈善事業だろうか。
じい、と周囲を見渡せば、あちこちから胡乱げな視線を返される。が、そんな視線などものともせず、獄寺は無遠慮に辺りを観察した。
指令を思い起こす。
――スラム街の公園に行け、見れば分かる、後は好きなように。
良く分からない命令だが、当主の言葉は絶対だ。文句を言えず、見知らぬ東洋人と組まされた獄寺は、微妙な表情になったものだった。
だがしかし、この公園が目的地だ。嫌でも指令は遂行せねばならない。
ならば対象物は何だ? 見れば分かる、という九代目の言葉は一体どういう意味なんだ?
「獄寺!」
振り向けば、困ったような顔をした東洋人がこちらへ駆けてくるところだった。
追いついた青年は、頬をかく。
「どうよ? 何か見つかった?」
「いや……」
何も、と答えようとしたその時だった。
有り得ないものを見た気がして、獄寺は大きく目を見開く。
炊き出しをしている人間が、一瞬、ひとだかりの合間からちらりと見えたのだ。
その姿が、遥かかなたに見たことのある姿に、良く似ていた。
「あ」
隣の東洋人が、不意に声を漏らした。
何事かと見てみれば、彼の視線もまた、炊き出しへと釘付けにされている。
「……」
「……おい」
二人の視線がかち合った。
どちらの目も、伺うような色を浮かべていた。
数秒間、互いの意志を推し量り、それから二人は意を決してひとだかりの方へと歩き出した。
少しだけ、早歩きになりながら、人をかきわけ、白い目も無視して突き進む。
あの目立つ容姿は間違いない。
記憶にあるのと何ら変わりの無い姿に、自然と足も早まった。
あの時があったからこそ、今の俺がいるんだ。
それだけは間違えようがなかった。
スラムの住人達の文句が声高にあがり、それを聞きつけた人物が鍋から顔をあげた。
訝しげに彼はぐるりと顔を回し、そして。
「おや、君は――」
赤と緑の双眸が、ひたと獄寺に据えられた。
獄寺も静かにそれを見返した。
少年の姿だ。以前よりも大きい。成長したのか、しかし幼子が少年になるには、二人の間に経った時はあまりにも長すぎる。
しかも、華奢な少年の姿のくせに、発する空気はどこか古臭い。不自然極まりなかった。今は、フリルのついたシャツと黒いズボンと言った貴族めいた服の上からピンクのエプロンを身にまとい、少し伸びた黒髪を尻尾にしていた。
「六道 骸――」
呟けば、お玉を手にした少年は薄く笑う。
切り出し方が分からず、言いあぐねていると、東洋人が歓喜の声をあげた。
「スクアーロ!」
その声に、奥で玉ねぎを切り刻んでいた男がこちらを振り向く。長い銀髪が攻撃的になびいた。
「久しぶり!」
「おお、テメェかぁ!」
あちらはあちらで、何やら感動の再会のようだった。水場へと入り込んだ東洋人は、銀髪の男とばしばしと肩を叩き合い、喜び合っている。
テントの中にはその二人しかいない。どうやら、二人で炊き出しをしているようだった。
骸の顔をまじまじと見る。
こいつが、慈善事業をやるタマだろうか。
そんな獄寺の考えが伝わったのか、彼は小さく苦笑いした。
「さて――どうしましょうかね」
「……お前、何でここに」
「話せば長くなります。ですから、その前に」
歯を見せずににんまりとして、骸はお玉で炊き出しの列を指した。
長蛇の列は、興味深げにこちらを伺っている。
「――君達には少し手伝ってもらいましょうか」
「は?」
ぐいと引き寄せられ、お玉と椀を渡される。あれよあれよと言う間に、獄寺は赤いエプロンをして、スープの入った鍋の前に陣取っていた。
パンを切り出すのは東洋人とスクアーロとかいう男二人の係りらしい。ちらりと隣を見れば、愛想良く笑ってスープを渡す少年がいた。
なぜこんなことに。
鍋をかき混ぜながら、獄寺は首を傾げた。
「おい」
「何です?」
「どうして、こんなとこにいんだよ?」
「さて……」
量るような目で骸は獄寺をなめた。
「それはこちらの台詞ですけれど、まあ、いいでしょう……ああ、熱いので気を付けて」
タールで頬を汚した小さな少女に微笑む骸の傍らで、獄寺は憮然とする。
自分とて、どうしてここにいるのだか分からない。命令通りに来て、おそらく対象であるだろうものを見つけはしたが、それをどうすればいいのだか分からない。
「僕がここにいる理由なんて、至極単純で当然なことですよ」
囁くように告げる骸は、お椀を小さくはじいた。
「『彼ら』がいるから。それだけです」
「!」
骸の言葉が指す意味は、一つしか見当たらない。
驚愕する獄寺をよそに、骸は黙々と作業を続ける。
重ねて尋ねようかと思ったが、それっきり少年は獄寺の方を見ようともしない。明らかに拒絶の態度を取られては、さすがに問いただしにくい。
もやもやとする塊を胸の内に抱きながら、鍋をかき混ぜるしかなかった。
密林の陰りは思った以上に早かった。
夜の暗さに加えて、特有の湿気と熱気に少し心細くなる。
頬に流れた汗をかき、獄寺はちらりと目の前をゆく背中を見た。幼い背中を追いかけて、どれほどの時間が経ったろう。
ずんずんと背丈ほどもある草を掻き分けて進む子供は、あれから何も言わない。会話も無く、獣や鳥の鳴き声だけを聞きながら黙々と歩くだけだ。
過酷な環境ではあったが、昼間よりかは歩きやすかった。昼はまさに道なき道を行ったが、どうやらこの子供は獣道を知っているらしい。しかもやや温度が下がっているので、死にそうにつらいということは無かった。
だが、こういう時に限って、元凶の顔がちらついて仕方ない。
獄寺の父は貴族だ。イタリアの有力な、そして悪名高いことでも知られる貴族だった。その父が、一体こんな地の何に用があるというのか。この子供と出会うまでは、意味のわからない命令はただ、自分を殺すためのものかと思っていたが、どうやら違うようだ。
『源泉』は実在する。
それが何を意味するのかは分からない。だが、父にとって重要な意味を持つには違いなかった。
獄寺はじい、と前を見据える。
これから、何が何でも真相を知るまでは帰らない。父の言いなりになるとしても、納得ずくでなりたい。理解した上で、従う。
三十分か、一時間か、それぐらい歩き抜き、いい加減に獄寺が沈黙に耐えきれなくなった時だった。
急に骸が足を止めた。
がさり、と草が揺れる音がする。
「……着いたのか?」
景色は大して変わらない。
だが、香りは濃くなった。草木や獣の気配は色濃く辺りに満ち、密林に入ったばかりの頃とは違いなかった、その背丈も大きくなっている。
「ええ、着きました。もう会えますよ」
会う?
言葉の違和感に首を捻る獄寺を振り返りもせず、骸は背ほどもある草を勢い良く掻き分け突き進んだ。
ともすれば、緑に隠れてしまいそうな骸を慌てて追う。
顔に葉や虫が当たるのにはもう慣れていた。臆せず踏み込んだ。
ちらちらと草に埋もれている骸を追っていたが、不意にその姿を見失う。焦りが獄寺の表情を掠めるが、次の瞬間には杞憂であったことがわかった。
かき分ける草の重みが軽くなった。ずん、と足を進めば、急にまとわりつく草の感触が消え、そして視界が一気に広がる。
開けたところへ出たのだ。
うっそりと木々の梢が組み合い、ドーム状のようになり、月の光をわずかに取り込んでいた。
土を踏みしめ、一歩前に出る。
空き地の真ん中には、小さな小屋があった。
ガラス窓にはカーテンが閉められ、中を窺うことは出来ないが、仄かに明るいことと煙突から煙が出ているので、おそらく人が生活しているに違いなかった。
何が『源泉』なのか、訳が分からず、骸を見た。
彼はすたすたと小屋に近寄り、遠慮なく、ノブを回す。
「あ、おい!」
「君はひとまず、そこで待機なさい」
そう言い捨て、骸はドアを開けると、中に入っていってしまった。
行き場もなく、獄寺は目をぱちくりとさせる。
何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
立ち尽くす獄寺を、カーテンの隙間から眺める目が四つあることを、彼は知らない。
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