死ねばいい。
この僕に害なす輩など、全て、総て。
滅び去ればいい。
暁光は剣となりて―濃霧―
彼は、気が付いた時からそこにいた。
親はいない。知人も、誰一人いない。
幼いながらにして、彼は一人だった。
けれど彼には、力があった。
本来ならば魑魅魍魎が蔓延るこの都において、小さな幼子一人、生き延びられる訳は無かったが、彼が持つ力の前には襲い来るアヤカシなど、ただの塵芥に過ぎない。無いも同然だ。
その力が何なのか、何故自分はそんなものを有しているのか、大して気にしなかった。ただ、便利なものだと、そう思っていた。
人を癒やす事もあれば、頼まれて家に巣喰うアヤカシを滅する事もあったし、また都を徘徊する鬼を殺す事もあった。大抵依頼人がいて、食う寝るには充分な報酬がもらえるので、彼はその生活に満足していた。
そんな事を、一年二年と続け、そして三年目。
まだまだ大人には程遠い少年だが、その頃にはもう、力をどう使えばいいのか、彼はしっかと心に決めていた。
人の為に使えばいい。
破壊で得られるものなど何も無い。
ならば、生きて行く為にも、人の為に使えばいい。
小さいながらに自分の異質さを理解した子供は、社会に反するのではなく、従属する道を選んだ。
人里から外れた山の麓、小さな小屋を建てて、たった一人でそこに住む事にした彼は、世捨て人そのものだった。
別段、人と関わらずともいい。頼って来る者があれば、親身になってやるけれど、自分からは決して近付かないようにした。
ただ、静かに、穏やかに暮らせればそれでいいのだ。
彼へ救いを求める者は、定期的にやって来た。その内の何人かは、少年の力に感激し、彼の小屋の近くにまた小屋を建て、そこに住んで、少年の身の回りの世話をするようになった。さながら小さな里のように、畑を作り、田を作り、穏やかな時間の中で人が息づいていた。
少年は拒絶しなかった。
自分の力を理解し、自分を慕ってくれる者を無碍にしたくはなかったのだ。
そうして出来上がった里で、少年は少ない住民を優しく見守っていた。
鬼と同じ赤い目を、穏やかに細め、彼は異能の人々と共にそこにいた。
いつしか、少年はこう呼ばれるようになっていた。
右目に刻み込まれたただ一文字、六。
それにあやかり、六瞳、と。
ただね、と彼は話の腰を折った。
「誰が付けたか知りませんけれど、もっと良い名があったでしょうに。六瞳だなんて六つ目みたいじゃないですか、化け物ですか、僕は二つ目です……ださいんですよ」
湿った山の土を手で掘り起こしながら、ぶつくさと呟くのは、赤い右目に六を刻み込んだ男だ。長い後ろ髪は黒い。
その向かい側で、もう一人、琥珀の双眸を持った男が同じように土を引っかいていた。
「とか言ってさ、結局今の今までそのださい名前を使ってんじゃん」
「……まあ、折角付けてくれたんですし……でもださいものはださいんです」
頬を膨らませた男を、呆れたように琥珀の男が眺めた。
素直に気に入っていると言えば可愛いのに、何というか、ひねくれている。
「……正直に言うとさ」
「何でしょう」
「下の名前の方がださいと思うよ」
ぽつりと、囁くような声で言えば、男はたいそう衝撃を受けたようだった。ただでさえ逆立っている頭頂部を逆立て、色違いの瞳を丸くさせている。
いやいやいやいや……事実だろう。まさかセンスがあるとでも思っていたのか。幾ら何でもそれは酷い。何が好きで死体を意味する名前を付けねばならんのだ。
しばらく放心の体で硬直していた男だったが、数秒後にきゃんきゃんとわめき始めた。
「そんな! 僕自身を良く現したまるで僕が為にあるような名ではありませんか! 一体どこに文句があるんです!」
「全体的に?」
「何て酷い!」
「それを名前にするお前にびっくりだよ……まあ、お前の頭に比べりゃ負けるけどさ」
「僕の高尚な趣味に何という事を!」
きっと千年先でもこの話に決着は着かないだろう。何しろここ数百年髪型を変えた形跡が無いのだから。
「……、で、続きは?」
呆れ気味に男が催促すると、彼は不満そうに鼻を鳴らしてから口を開いた。
「平和でしたよ」
そして、彼は眉をひそめた。
平和と言うならば、まさしく六瞳の里こそが平和だった。
笑み溢れる人々を優しく包みこむ霧深い森、人と土とが上手く共存する里は、疫病が流行る事も洪水に襲われる事も獣に襲われる事も無く、過ごしていた。
しかし都ではそうではなかった。
鬼が人を喰らい、人が人を喰らい……荒みきった人々の心がまた鬼を産む。流行り病は道端の屍を増やす。
この都は、呪法に守られているはずなのに。
何故我らが苦しまねばならない。
何故我らが怯えねばならない。
一体何故、こうなった。
やがて、誰かが言い出した。
呪いがかけられている。
都の繁栄を羨む何者かが、呪いをかけているのだ。
だから我らが苦しい。
だから我らは怯える。
そいつらのせいで、こんな事に。
そして、それが誰なのか、と問われれば、都の者は一人しか思い浮かばなかった。
山の麓、じめじめとした暗い土地の、不気味な里。
そこに住む赤目の鬼、六瞳こそが、我らに仇なす大敵なのだ。
ならば、滅ぼそう。
奴らが鬼ならば、こちらにだって鬼はいる。
人血をすすり、人語を解し、闇夜に潜む鬼が。
鬼には鬼を。
さあ憎き六瞳鬼を殺してやれ!
恐らく、と男は憎々しげに呟いた。
「上も関わって……むしろ率先して、我が里を憎むように仕向けたのでしょう。外敵に注目させて、内なる敵から目を背けさせた……まったく人は、幾ら騙されようとも学習しない」
ざくり、と土を手で掘り起こす。話しながらの作業のせいか、一向にはかどらない。
男は、赤目を妖しく光らせた。
「憎い、憎らしい」
呪詛の言葉を吐き出す男を、琥珀の双眸がじっと見つめている。
ざわざわと、無い風に木々が揺れた。
「憎い……だが何より憎いのは」
ぼう、と黒い炎が赤目に宿った。
六瞳の里で、初めて生まれた子供だった。
里人が愛しみ、育んだ赤子は、すくすくと育って今や立って歩けるまでになっている。
この小さな里で無事に産めるのかと一時は里人全員で悩んだ。祈祷にすがり、信心深い者でさえ、赤子諸とも母親まで死ぬ事が多かったからだ。
しかし母親も強く、またお産の最中も六瞳と産婆が付きっきりで看病したおかげか、親子共に今の今まで健やかに育っている。
初めて見た赤子は、泣き叫んで喚き散らし、全身で生を渇望していた。思わず、一歩退いてしまう程に。驚いている少年を見て、産婆がかっかと笑ったのはついこの間。本当に子供は良く成長する。
そんな子供であったが、寒い風に当たりすぎたのか、少し具合を悪くしている。
丁度薬草を切らしていたのもあり、六瞳は一人、夜の山で地面を探っていた。
鬱蒼と茂る木々の枝が空を遮り、たまに漏れる月光しか光が無い中で、少年は危うげなく脚を動かす。
彼にとって、夜は恐怖ではない。また、幼い頃からの庭同然の山に、彼の知らない場所など無かった。
もう間もなく、目的の薬草が生えている場所に着く頃合であった。
不意に、少年は鼻をひくつかせた。
気のせいか、焦げ臭い。
匂えば臭う程に増す物の焼ける臭いに、ふと不安になった。
薬草を手早く取ると、足早に山を降りてゆく。暗い闇が、今はおぞましい何かに見える。ざくざくと落ち葉を踏みつけ、駆け下りた。
駆け下りた。
駆け下りた、その先。
まず見えたのは、闇夜に轟々と燃え盛る炎の渦。
木が燃える臭いと、かすかに漂う――
――人が、燃える臭い。
ようやく届いた聴覚に、絶叫が飛び込んで来た。
呆然と、里を見回せば、笑顔溢れていた暮らしは、ばちばちと焦げ、黒煙に包まれ、赤い炎に全てを破壊されていた。
ふらりと足を踏み出した先で、何かを踏んだ。
固い感触。
視線を向けたその先に、
小さな、干からびた子供。
人間の弾力などどこにも無い。骨に貼り付いた皮。恐怖に固まったままの眼球は、空気に晒され視線は虚空に浮いていた。叫んだままの形で開かれた口は、咥内が視認出来る程の絶叫を示す。
ごくり。
何かを、燕下した音。
ゆるゆると、振り向いた先に、いた。
爛々と闇に目を光らせ、今まさに里の女に牙を突き立てる――化け物が。
ごくり、ごくり。
火の爆ぜる音の中に響くそれを聞き、六瞳は、理解した。
あれは、血を飲んでいるのだ。
あれは、人血を啜る、鬼だ。
理解した瞬間に、彼は吠えた。
自ら決めた定めを自ら破る。
こんな化け物をよくも、我が里に放してくれた、よくも里人を、幼子を!
許すものか、許しはしない。
あれが鬼だと言うならば、この身だって鬼となる!
我が里を滅ぼした輩全てを、呪ってくれよう!
挑発的に笑みを零したその人血を啜る鬼は、六瞳に向かって自らが捕らえていた女を放った。既に息は無い。
「血をくれると言うからここを襲ったが……何とも貧相な食事しか無い」
鬼は、狂気に目を光らせる。
「だが」
六瞳は、狂気に濡れた目を見返した。
「だが、悲鳴は何より、我が血族の好みだったな」
付け足された哄笑など知った事ではなかった。
鬼を、滅ぼせ。
ようやく、明確に、六瞳は理解したのだった。
何故己に力が備わっていたのか。
何故己がここに存在しうるのか。
全てはこの為にあったのだ。
吸血鬼を、滅ぼせ。
それこそが、この身の憎しみの原動であり、命だった。
我に害なす化け物などこの世界には必要無い。理性ではなく本能で恐怖を慈しむ鬼など必要無い。
決着にさほど時間は要しなかった。
男は、小さく呻いた。
「……きっと転化したての吸血鬼だったんだろうな」
「ええ、我が里が焼き尽くされた割には呆気ない幕切れでしたから」
二人の男の視線は地面に固定されたままだ。
不意に、琥珀がゆるやかに動いた。
合わない視線に構わず、じっと色違いの双眸を見続ける。
「ごめん」
ぽつりとこぼされた言葉は、やけに静かな山肌に染み込んだ。
「あなたのせいではありません」
「でも、俺だって、吸血鬼だ」
唇に隠れる犬歯は鋭く尖っている。
しかしそれを知って尚、首を振る。
この吸血鬼だけは、憎めない。
「……綱吉君は、吸血鬼にありながらまるで人のようです」
僕とは、反対ですね。
そう言って男は笑った。
人から人に乗り移り、人にあらざる力を持つ。
恐怖をあざ笑うのが吸血鬼であるなら、この身とてそうだった。
「骸」
空をさ迷う眼差しは、琥珀に固定される。
静かに透き通るその目を、骸は愛している。
「必ずお前にも、光はあるよ」
ああ、もう見つけたとも。
情を湛えた瞳の奥。
小さく仄めく鮮やかな橙。
君こそが、僕の光だ。
「……さて、もうそろそろよろしいのでは?」
「え、うん……そうだな、よし、埋めるか」
そう言うと、綱吉は傍らの幼い苗木を取り上げ、適度に掘られた穴へ根を下ろす。
楽しそうに優しく土をかけてやる綱吉を見て、骸は胸の内にとうの昔に無くしたはずの穏やかな何かが満ちていくのを感じた。それが何なのか、など、骸にはどうでもいい事だったが、しかし彼はふわりと微笑む。
この小さな木の芽が、幾星霜もの時を経て巨木へと成長する。
それだけの長い永い時をかければ、それだけの、永い君への想いがあれば。
僕は、この闇の中で、光を胸に生きていける。
大切な大切な、仄炎を僕が守り抜いて行く。
「できた」
桶に汲んでいた水を、地に埋もれた根に向かって手でかけてやる。
そうして、膝についた土をはらって綱吉は立ち上がった。
「後は、見守って行くだけだ」
「たまには調子を見に来て下さいよ」
ぼそりと言い放てば、綱吉は困った顔をする。
「うん、たまには来る、つもりなんだけどさ」
はあ、と大きな溜息をつき立ち上がった骸は大仰に肩をすくめた。
「あなたの『たま』はあてになりませんからね。たまと言いつつ、三桁単位で放ったらかしにされそうです」
「ご、ごめん」
仕方ありません。
そう言い、成人男性と言えども、自分より小さな茶色い頭に手を乗せて撫でる。
若干、身長のコンプレックスを刺激されたのか、むっとする顔、膨らませた頬が可愛らしい。そんな事を思いつつ、骸は綱吉の頭を撫で続けた。
「どこへ行くんでしたっけ?」
「今度は大陸の方に行ってみようかなあって」
「そうですか……」
骸はまだ見た事は無いが、彼はこの島の遥か西より来たと言う。そこではこの島とは全く違った生活様式をとっているらしい。住処も服も食べ物も。
興味をそそられぬ事も無いが、自分が付いて行ってしまえば足手まといになってしまうだろう。
そう思って、骸はこの島に留まる事にしたのだ。
綱吉とて、骸に付き合って数百年、この島に留まり続けたが、さすがにいつまでもじっとしているのは彼の気性にも血にも我慢がならなかったらしい。引き止めたい、が、それを問答無用で出来る程、骸はもう子供ではなかったのだ。
昔なら、出会った頃の昔なら、もっと甘えられたのですがねえ。
内心で呟く。
許せなかったのだ、全て。
六瞳は、にやりと笑った。
全て、総て。
自身の持つ憎しみと本能を乗せ、口角を上げた少年の姿に、都の人々は怯えた。
鬼、というならばまさしくその少年こそ鬼だった。得体の知れぬ呪術を用い、人心を惑わせ、鬼を産み出し、恐怖に陥れるその様は人々の思い描く鬼そのものだった。
霧の深い夜、ぼうと紅く光が浮かび上がる。
六瞳は、それを狩だと思っていた。
強者が、弱者を刈り取る。人血をすする鬼が自身にとっての敵であるように、自身を害するもの総てを刈り取る仕事。都の愚かな人間どもなど、生きていたって価値の無い雑草。ごみ、ちりあくた。
「おや、」
都を覆い尽くす濃霧の中に、一人の男が佇んでいた。
真っ黒な狩衣をまとって、木の橋の上に、川を眺めてひっそりと佇む。横顔からでも見える慈しむ眼差しは、きらきらと、琥珀色に光っていた。
骸の声に、男は振り向く。
丸い瞳が驚いたように骸をじっと見張った。
不意に、骸はぞくり、と何かが背筋を這い上がってくるものを感じた。
温かな琥珀の視線が、急に圧倒的な大きさをもって骸の中へと潜り込んで来たのだ。閉じた扉をこじ開け、無理矢理に奥へと侵入し、骸の総てを片っ端からあさられる。
「っ」
数秒、交わされた視線は、骸が外す事で終えた。
一体、今のは何だったのか。
呆然としながら、骸は冷や汗をぬぐう事もせずに男をじっと見つめた。言葉を発する事も出来ない。
この男には、敵いそうにはない。
何者なのだ。
男は、笑った。
「こんばんは」
若干、訛りのある言葉で、その男は笑った。
そして、手を差し出したのだ。
「一緒に、来る?」
首を傾げながら微笑む男、放った唇の下には尖った犬歯、背後には煌々と輝く満月、流れる川のせせらぎ、しんとした夜に、男は立っていた。
六瞳は、男を、見つめた。
「……骸、」
はっとした。
自分の世界に浸り過ぎてしまったか、周りが見えなくなっていた。
慌てて綱吉の頭から乗せたままの手をどければ、悪戯げににやりと笑う童顔が目に入った。知っている、この顔はろくでもない事を考えていた時の顔だ。一体この顔のせいで、今までどれだけの苦労をして来た事だろう。
「何ですか」
綱吉の背後から、陽光が木々の隙間を縫って降り注ぐ。
黙って笑ったままの綱吉に焦れて、骸はもう一度繰り返した。
「何です」
眩しい光に目を眇める。
綱吉は、変わらぬ表情のまま、手を差し出した。
「一緒に、来る?」
懐かしい、言葉。
綱吉は、くすっぐったそうに笑って、骸を窺うように眺める。
ああ、君に敵いそうにはありません。
それは、最初に逢った時にも思った事だけれど、骸はまたもや思い知らされた気がした。
生きた時の差より以前に、彼の心は、自分のものとは違ったものなのだろう。
骸は天を、仰いだ。
僕の視線の先に、いつだって変わらずそこにあるあの雄大で偉大で孤高であり続け、この地に這いつくばる民草を包み込む大空。
それこそ、あなただ。
骸は、笑った。
何だかもうどうでもいい気がして来たのだ。
視線を綱吉に戻す。
「喜んで」
土に汚れた手に、自らの手をそっと重ねれば、綱吉は満足そうに笑った。
死ねばいい。
我らに害なす輩など、全て、総て。
ですが、ご安心を。
あなたの服を赤で汚す事無く、僕はあなたを守ります。
はい、そんな訳で暁光~の骸の過去話でした!6927っけ少なくてすみません。コロネロ出て来なくてすみません。何だかもう何でもありでごめんなさい……でもさ、余裕で千越えの人だっているじゃない。その人達ってどうなのよ…………と思った結果がこの通りです。はい、言い訳はしません。
後、最後の方はぶっちゃけ力尽きました……本更新の時に加筆修正します↓↓
多分、この後中国やら欧州やらアフリカの方やら連れまわされ、江戸末期ぐらいになって二人で日本に戻って来て仲良く暮らすのだと思われ。大戦の頃になって、綱吉は様様なコネを伝って、いろいろな国でいろいろなことを見るのではないかと。全てが終わってからイタリアに帰ってましたが、ザンザスに追われて逃げ出し、骸に助けを求めて日本へ来ていた時に、コロネロと会う……と。
まあ、おおまかな流れはこんな感じでしょうかね。基本的に行き当たりばったり人間なので、どうしようもないぐらいに設定決めていないんですよ。決める時はとことん決めるんですけどねえ……ま、仕方無い。
流れが変わっていても、ああこの管理人最悪だ、ぐらいに思って頂ければ幸いです(え!?)
それでは、次は必ずコロネロが出て来ますので……いずれ。
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