泣いている子供がいた。
二人でうずくまり、寄り添い、怯えながらもこちらをしっかと憎悪の表情で睨みつけ、けれどもその奥に涙を浮かべる子供がいた。
清潔感溢れるその部屋の中で、白い手術着をまとうその二人の子供がいた。
暁光は剣となりて
青年はぼうと車窓の向こうを眺めていた。
がたごとと揺れる列車は、欧州らしい広い緑を延々と走っている。そろそろこの景色も見飽きたのだけれど、文句を言っても仕方あるまい。しかしこれが後少なくとも一時間は続くとなればげんなりとしてしまう。
不意に、がさり、と向かいの席から物音がする。
青年が顔をそちらに向かえば、子供が二人、びくりとして硬直した。
長距離特急の二等客室の一つであるここは、向かいあうように座り心地がそこそこ良い座席と一つの上品なテーブルから成っている。骸は今、進行方向とは逆向きに座っている。進行方向を向いて座っている二人の子供は、骸と目を合わせ、怯えた表情のままぴくりともしない。
別に、とって喰おうという訳ではないのに、と少し悲しくなった。
しかし、まあ、彼らの現状を思えば仕方無い。
にっこりと笑いを浮かべ、青年はテーブルの上のお菓子を指した。
「食べても、いいんですよ?」
そう言えば、眼鏡の子の後ろに隠れるようにしていた金髪の子供がほんの少し、目を輝かせた。しかし、眼鏡の方はより一層警戒を強めたようで、眉をひそめて更に睨んでくる。人買いとでも思われているのだろうか。
「……毒は入ってませんけど?」
一つ、クッキーを取って、かじってみせる。
口内に甘みがふわりと広がった。上品な甘味だ。さすが、老舗の名店で買っただけはある。その分高くついたが、これだけの味が得られるのなら文句は無い。
さすが僕、と自画自賛してから子供二人に目をやれば、やはり子供というべきか、お菓子に警戒心が薄まったようだ。今がチャンスだろう、ここぞとばかりに、クッキーが入っている箱を子供の方へと押しやった。
揺れる列車に、箱を包む淡いピンクの紙がゆらゆらと揺れている。
しばらく、子供を見つめる青年と、青年を見つめる子供との間で妙な均衡が生まれた。
車内に広がるクッキーの香り。
金髪の子供が、ごくりと唾を飲んで、そろそろと手を伸ばした。
「だめだ!」
「でも、」
すかさずその手を眼鏡の子供が取る。
二人の間で視線が交わされる。
何を警戒しているのか。
青年はふむ、と考える。やはり食べ物なら毒についてだろう。だったら。
「わかりました」
ぽん、と手を打って彼は、もう一度クッキーの箱に手を伸ばす。
次は何をするのかと見ている子供達の前で、一枚のこんがりと焼けたクッキーをぱきん、と割ってみせる。そのまま半分を口に放り込み、もう半分を金髪の子供に差し出した。
きょとんとした子供がこちらを見上げる。
青年は半分を飲み込んでから、二人に笑ってみせた。
「はんぶんこ、しましょうか」
金髪の子供がきらきらと目を輝かせた。
「うん!」
歪に割れたクッキーをいそいそと受け取り、
「いただきます!」
と言って、満足そうに食べる。
いただきます、と言えるのならいい子だ、と関係無いことを納得してから、もう一人の子供に視線をやる。
目が合った。
なるべく作り笑いにならないように笑ってみせる。子供は敏感だ。大人の感情の機微を覚ってすぐに警戒してしまうから、怖がらせないようにしなければ。
じーっとこちらを見つめて来るその視線は、怪訝さを含んでいる。理解出来ないのだろう。
次々にクッキーに手を伸ばす金髪の子供の横で、眼鏡の子供の視線が揺れた。
「……何が目的ですか」
「これと言った目的はありませんねぇ。しいて言うなら、反感を覚えたぐらいです」
首を傾げる子供に、ふふ、と笑ってみせた。
吸血鬼は嫌いだし、正直人間も気に食わない。吸血鬼を殺す為に狂う人間など論外、見ているだけで怖気が走る。そんな奴らを潰して、そこから化け物になってしまった人の子を助け出す。最高のジョークじゃないかと思っただけだ。
自分は生来の化け物だという自覚はある。人工的に、とはいえ、そうなってしまった子らを類とみなして自分を救いたいのかもしれない。救われたいなどと思っている自分をプライドが許さないが、本当は、自身が一番世界を怖がっているのかもしれない。冷静に考えてみれば、なかなかに自らの境遇は酷いものだ。
ただ、と脳裏を閃いた金色に微笑んだ。
「……まあ、最近ちょっと考えを改めたのもあるかもしれません」
老獪に笑うその青年の吸血鬼に出会ってから、世界が色づいた。
あの場面にもし彼がいたのなら、きっと、子らを助けるのだろうな。研究所を破壊するときに不意に、そう思ってしまった。
だから、という訳でもないが、気が付いたら体が動いて実験体の二人を両脇に抱えていた。
彼は視線を子供に戻す。
「君達に会わせたい人……人じゃないですけど、まあいるんですよ」
「……?」
「そろそろ彼も来る頃でしょうし、日本に帰りますかねえ……彼も君達に会ってみたいだろうし。彼なら何があったかお見通しなんでしょうねえ、あほみたいな顔して中身はおっそろしい吸血鬼ですし、ってやっぱり助けて良かった! 見捨てたらそれこそ僕が殺されてしまう!」
今考えてみれば、急死に一生の決断だったわけだ。
うわあ、と情けない顔をする青年をちらりと見上げて、眼鏡の子供は眉を寄せた。
様々な疑念が胸中に渦巻いているが、何となくどうでもいい気がする。
隣に座る犬はクッキーと列車に満足しているようだし、一人ぶつぶつと呟いている青年はそれほど危険人物ではなさそうだ。むしろあほっぽい。
一人頷いて、眼鏡の子供はクッキーの箱に手を伸ばした。中から一つ、小さなものを取り出して口に含んだ。
甘い。
こんなに甘いものを食べたのは、初めてな気がする。
かじったクッキーを眺めていれば、そのクッキーが滲んだ。
目を瞬かせて、優しい甘いそれをもう一度かじる。
本当に、甘い。
滲んだ視界は、しばらく元に戻りそうになかった。
箱が空になった頃には、すっかり金髪の子供は青年に懐いていた。
「変な髪形れすねぇ!」
「くっふふふふ……君には礼儀をしっかりと叩き込まなければいけないようですねぇ……」
「れいぎ、ってなんれすかぁ?」
「……礼儀というものは、ですね」
眼鏡の子供はじっと青年を眺める。
確かに変わった様相をしている。目は片方が赤い。全体的にもどこか、独特のセンスを持っている。
自分達を助けてくれた存在。自分達と同じ化け物。
そういえば、と思った。
自分達は一番重要な何かを忘れているのではなかろうか。
どうやらこれから面倒をみてくれるらしい青年。自分達が知っている彼のことと言えば、見たまんまの彼だけだ。中身も知らない、そして。
「あの、」
声を上げた眼鏡の子供を、仲良くしゃべっていた大人一人と子供一人が無邪気な顔で振り向いた。
後に、眼鏡の子供は語るが、その瞬間に自分のこれからを悟ったという。
「……俺、まだあなたの名前を知りません」
大人一人と子供一人が、顔を合わせて、二人してああ、と声をあげた。
だめだ、これは俺がしっかりしなければ。
眼鏡の子供は内心で溜息をつき、そうして青年が自身の名を告げるのを待った。
揺れる列車は、草原を行く。
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