叫んだ時にはもう遅かった。
嘆いた時にはもう遅かった。
後悔は、億を超えた。
掻き抱いたその身体は、冷たく、硬く。
嘆きの
暁と叫びの
海を越えて
そう、と頷いた男は嬉しそうに微笑んだ。
応答する受話器を置いて、それから満面の笑みでこちらを向く。
「予定日通りだって」
手入れしていた愛銃を置き、リボーンはにやりと笑って綱吉に返す。
「次代様の誕生か。盛大に祝わなきゃなんねーなあ」
「本気でやめろよ!? 俺はな、子供には平凡なサラリーマンに育ってもらうつもりなんだかんな!」
顔を青ざめて机を叩いて立ち上がる綱吉に、からかうように笑みを向ける。
最後の点検を済ませてからぶつぶつと呟く綱吉に近付き、その額を小突いた。
「あいた」
「男なんだろ? さぞかしお前似のダメダメなんだろーな。女なら楽しみだったのに」
「お前ってさあ……ほんとお前だよなあ」
意味の分からない諦めの表情を浮かべた綱吉の額に、今点検を済ませたばかりの拳銃を押し付けてやる。むかつくので銃の調子は万全か確かめてやろうか。すみませんすみませんと叫ぶ元教え子に、リボーンは鼻を鳴らして銃を懐にしまった。執務室ではいつもの光景である。
「ったくもう。分かんないよ、もしかしたら嫁さんの血を引いて優秀かもしんないし」
綱吉が結婚したのは二年前。二十五の時だ。ドンになったのは二十歳。そのボンゴレ十世の愛人の一人、知識と教養にあふれ、けれどイタリア女らしい気の強さを揃えた美女が、綱吉の妻となった。
子が出来たと判明したのは今年に入ってからだ。既に三ヶ月。自らの立場を考え、諸手を上げて歓迎出来ない綱吉だったが(ただし周囲は後継ぎの心配が無くなったと大歓迎だった)、妻と自身の希望で三日後の出産と相成ったのだ。
「マリアに会いに行ってやらなくていーのか?」
そう問えば、綱吉は半泣きになった。
「仕事済ませてから来いって怒られたんだよ」
情けない。
溜息をついたリボーンは、元いたソファへと戻った。
ちらりと視線をやれば必死の形相で、けれど楽しそうに書類を片付けて行く綱吉がいる。
第一子の誕生。我が子の誕生。愛する女性との愛しい子供。
浮かれるのも無理は無いか。
リボーンはこっそりと笑い、ソファに寝転んだ。
「マリア!」
意気揚揚と病室に飛び込めば、じろりと看護婦のお局様に睨まれた。
「病院では静かに!」
「す、すみません……」
小さくなってそっとベッドの傍へと向かう。防犯上の理由から広い個室にいる妻は、変わらぬ美貌をおかしそうにゆがめていた。
「何回同じ事するのかしら、ツナ」
「仕方無いだろ。落ち着かないんだよ」
海色の瞳を覗き込む。黒い髪はさらりと肩まで流れている。
相好を崩した綱吉は、落ち着いた色調の病室を見回し、壁際に立っている黒服に笑いかけた。
「ご苦労様」
構成員が慌てて会釈を返すのを見てから、綱吉はベッドで上半身を起こしているマリアの膨らんだ腹にそっと耳を当てる。
「もうすぐ会えるんだね」
「後三日よ。ほんとにもうすぐ会えるんだから」
そう言ってころころと笑ったマリアは、綱吉の頭に自分の頭をぶつけた。
見上げる綱吉に、マリアはにっこりと微笑んで見せた。
「出産当日に仕事なんて事は、絶対許さないわ」
「わ、分かってるよ。大丈夫。ちゃんとスケジュール調整はしてるから」
「そう、ならいいわ」
すまして笑うマリアの頬に口付けを送ってから、綱吉は立ち上がった。
ドン・ボンゴレは忙しい。本来ならばこの短い時間でさえ惜しむぐらいなのだ。それをおしてまで毎日病院に通う綱吉は、マリアにとって自慢の夫だ。
思えば、愛人であった頃から彼は優しく、そして可愛い男だった。
愛人の立場から妻に代わっても、マリアに対する彼からの愛情は増えるばかりで減りはしない。とても心地の良く幸せな毎日。彼がドン・ボンゴレであり、時にとても恐ろしい一面があっても、マリアには愛しい夫だ。
「ごめんね、マリア。本当ならもっと一緒にいたいんだけど」
「ずぼらな父親だと子供が可哀想だもの。さっさと仕事、片付けてらっしゃい」
「本当にごめん」
もう一度、次は唇に口付けを落としてから綱吉は病室を去る。
見送るマリアは、くすりと笑む。
本当に申し訳無さそうな顔をするものだから、いつだって怒るに怒れない。
大丈夫。この子が生まれたら、家に戻れる。だからいつだって会えるようになるわ。
マリアは愛しげにふくらんだ腹を撫でた。
「さあ、早く生まれておいで。皆待っているわよ」
「 」
がくりとついた膝。赤に濡れる黒のスーツ。ぐらりと倒れたその身体。軌跡を描いた後ろ髪。
叫んで名前も、伸ばしたその手も、届く事は無く。
全てが断ち切られたかのように、その倒れた体しか見えなかった。
「あ……」
震える足で一歩近付く。
震える足で二歩近付いた。
「うそ」
呟いた綱吉は、震える手で、血塗れた身体に触れる。
「嘘だろ」
男は、静かに首を振った。
「君を、置いて、逝きます」
男は、口から泡混じりの血を吐いた。
力の抜けた四肢を、綱吉がぺたぺたと触る。
最後に、彼は男の胸に空いた穴と、そこから流れ出る赤に触れた。
それから呆然とした、何かが抜け落ちた顔で、綱吉は男の顔を見やった。
「……何で」
彼は最後の力を振り絞った。
傍らで見下ろす綱吉の頬に触れる。
温かな、人の身体だ。
「大丈夫ですよ」
触れた頬に、男の血が付いてしまった。それに少し顔をしかめる。彼の顔が汚れてしまった。
白い陶器のような肌。
その頬に落ちて行く涙を、心の底から美しいと思った。
「だいじょうぶ、です」
「いやだ」
「なかないで」
ああ、もう時間が無い。
君に伝えたい事がたくさんあるのに。
「 」
最期に、忘れられない言葉を俺の耳に残して。
そして六道骸は、死んでしまった。
飛んで行く景色を眺め見ながら、綱吉は息をついた。隣に座る護衛がこちらを窺うが、無視する。
車はシチリアマフィア、ボンゴレの本拠地へと向かう。
病院を訪ねた後、うさんくさい同盟ファミリーに顔を出し、表面上は笑顔な腹の探り合いをしてきたのだ。時刻はもう遅い。赤い夕日が、町を照らす。そろそろボンゴレの屋敷も近い。歩道にたまに黒い服のごつい野郎がちらほらと見える。
骸は、暗殺者から俺を庇って死んだんだ。
綱吉は薄く笑った。
らしくない死に方をした。
六年前の話である。綱吉がドンになって一年目。たった一年で、骸は俺の前から消えてしまった。
ほんと、馬鹿だよなあ。
「マフィア嫌いだって、言ってたくせになあ」
いや、だからこそ死んでしまったのだろうか。奴は根っからのマフィア嫌いだったから。
呟いた言葉は日本語だ。この車に日本語を理解出来る人間はいない。
やがて到着したものものしい屋敷の鉄門に、黒塗りの車は吸い込まれるように入って行った。
日は落ち、わずかに赤と黒の混じった淡い光が、西の空を染めている。
屋敷に帰れば、ホールで右腕と左腕が満面の笑みで出迎えてくれた。
「お帰りなさい、十代目!」
「マリアさん、どうだったー?」
初めて会ってから十三年。ようやく落ち着きを見せ始めた(ただし今でも週二の割合で暴走する)獄寺と、いつでも変わらない能天気さとマイペースさを崩さない山本。ここに至るまでに様様な紆余曲折があったが、どうにかこうにか、二人の親友はボンゴレの嵐と雨の守護者として、自分と共に歩いてくれる。手に負えない喧嘩がたまに疵だが、綱吉の心の支えと言ってもいい。
「元気だったよ。お腹の子も順調だって。予定日通りに産まれてきそう」
自室へと戻る道すがら、朗らかに会話を交わした。廊下は少し寒い。
「そっか、なら良かったなあ。やっぱあれか? 若様って呼ぶべきなんかなあ」
「十代目のお子様ならさぞかし麗しく愛らしく渋い十一代目になられるでしょうね!」
「は、はは……」
この調子だと、周りから担ぎ上げられていつの間にかボンゴレの十一世だなんて事になりかねない。
自分の子供には、必ずサラリーマンの道を歩ませてみせる、と変な決心をする綱吉の前方に、ひょっこりと和服姿の男が顔を出した。
「げ」
ある一室から扉を開けて顔を出したその男、雲雀恭弥はふうん、と鼻を鳴らす。
「げ、は酷いんじゃないの、綱吉」
「ご、ごめんなさい」
「十代目が謝る必要なんてありません! おらあ、雲雀ぃっ、テメエ十代目をどなただと心得てんだコラアっ!!」
「天下のボンゴレの十代目でしょ。それより綱吉、ちょっと話があるんだけど」
はあ、と気の抜けた返事を返した綱吉は、獄寺と山本を自室に帰らせ(ダイナマイトと日本刀が少々活躍したが何とか無事に)、今雲雀が顔を出した彼の自室へと上がり込んだ。
彼の部屋は和室だ。ボンゴレの屋敷を改造し、わざわざ日本家屋風のエリアを作ってみせたのだ。それもポケットマネーで。一階と三階の二箇所のその和室スペースは、日本組の多いボンゴレ幹部にとって、憩いの場として活用されている。特に一階は構成員達にも、解放されており、ボスの故郷がどんな所か興味のある彼らが集まる事も多い。
今綱吉がいるのは、幹部だけしか入れない三階のエリアだった。その中にある雲雀専用部屋である。
靴を脱ぎ、靴箱へと入れた綱吉は、檜の床を進んで幾つかある部屋の内、一番奥の部屋へと案内される。
「あ、こたつだ!」
品の良い畳。日本の匂いの中に、二メートル四方の大きな炬燵が鎮座していた。
「やっぱり恭弥の部屋っていいよなあ」
遠慮無く飛び込めば、既に電源の入っていた電気ヒーターが程よい温もりをくれた。
「懐かしいかい? 日本が」
綱吉の正面に入った雲雀が、すぐ横にある置いてあるポットでお茶を入れる。
畳を撫でる綱吉は苦笑した。
「まあ、懐かしいっちゃあ、懐かしいかな」
七年前にこちらに来て以来、残した母の安全を考慮して一度も戻っていない故郷だ。
それでもお中元やら年賀葉書やら寒中見舞いやら何やらと、連絡を取るには取っているので狂おしく思う程懐かしい訳ではない。たまにランボを送って、様子を見てもらってるし。
そう、と頷いた雲雀が持ってきたお茶をすすり、一息ついた頃、綱吉は切り出した。
「で、話って?」
「大した動きではないと思うんだけどね」
難しい顔をした雲雀が、どこからともなく取り出した書類を綱吉に放る。
「どうもきな臭いから一応、言っておこうかと思ったんだ」
「……武器の大量移動、か。これ、同盟ファミリーだよなぁ」
「ボスからは話聞いてる?」
「いや、全然。……やだなあ。三日後には出産なのに。仕事重なったらマリアに殺される」
「早くもかかあ天下か。可哀想にね」
「うるさいっ……じゃなくて!」
綱吉は書類を茶色い木板に叩きつけた。
「明後日までには片付けたい。容疑者との会合のセッティング、出来る?」
「明日の十一時。昼食を兼ねて市内のレストランでどう?」
「うう……ちょっときつい。まだ書類残ってるから夕食の方でお願いします」
「了解、ボス。じゃあ明日の夜の七時」
忘れないように、と釘を刺される。
その後、日本から届いたというみかんと、雲雀が足してくれたお茶をありがたく頂いた綱吉は、難しい顔で自室へと戻る事になった。
気味の悪い笑い声。意味の分からない髪型。
六道骸という男は、特徴のあり過ぎる男だった。
「マフィア嫌いの六道骸がさ、何で霧の守護者なんかになったんだよ」
「そんなの、ボンゴレの身体を最も乗っ取りやすい地位だからに決まってます」
「嘘だろ、それ」
ベッドに寝転んで、だらしなく漫画を読みふける綱吉。
つい一ヶ月前にドン・ボンゴレに就任した彼は、高校生の頃に六道骸をヴェンディチェの牢獄から解放していた。
彼自身の身体を、綱吉が寝転ぶベッドに腰掛けて、骸はふむ、と息をついた。
「まあ、真実ではありませんね」
「だろー? で、千種と犬を助けたかったからかなって思ったんだけど、どう?」
「あながち外れてもいませんが。ボンゴレの権力ならヴェンディチェから二人を逃してくれるでしょうし」
「後さ、自分の身体を取り戻したかったからかなって」
「それもそこそこに当たりですね。クロームを使ってばかりでは彼女にも迷惑ですから」
「それと、髑髏の身体を治してほしかったとか?」
「ボンゴレの科学技術は最高水準ですよね。当たりっちゃあ当たりです」
「……え、何。正解じゃないの?」
「強いて言うなら、答えに一番近いのは一番目ですかねえ」
「千種と犬の話?」
いいえ、と骸は穏やかに笑った。
多分、笑った。俺の位置からは、骸の顔は見れなかったから。
けれど、空気が、笑っていた。
「ボンゴレの身体を、乗っ取る為ですよ」
「は……? でもそれは答えじゃないんだろ?」
「違います」
「じゃあ何なんだよー」
くふふふふふ。
ああ不気味な笑い声だ。
若いドンの為にあつらえられた豪勢な自室に、不気味な笑いが響く。
窓から差し込む夕方の色が、茶色い床を染めていた。
不思議なぐらいに、とても静かで、その静けさに、骸の声だけが柔らかく、染み込んでいた。
自分で考えて下さい。
そう言って骸は、俺の隣へと寝転んだ。
「綱吉君が、考えてみて下さい」
きらきらと、オッドアイが輝く。
綺麗な弧を描いた唇。とても楽しそうにする骸を数秒間じっと見つめ、綱吉は溜息をついた。
漫画を放り投げ、骸の頭を自身の胸に引き寄せる。
「ったく、何だかなぁ……狸に化かされた気分だよ」
綱吉の心音を聞いていた骸が、むっとした顔で文句を言う。
「狸はひどい。狐にしてくれませんか」
「嫌だね。お前は狸だ」
「子供なんですから、まったく」
「んだと、コラ」
拳骨を作って意味不明な髪型をしている頭をぐりぐりとすれば、悲鳴があがった。伊達に力は付けていない。何せちょっと殴るだけで壁を粉砕する力を綱吉は持っているのである。
「いたたたたた! やめなさい!」
「やめて、く・だ・さ・い・だろ?」
「やめて下さい!」
「仕方無いなあ。ほら」
放してやれば、頭をさする骸が涙目で綱吉を睨む。
思わず笑ってしまった。
「この、ボンゴレのくせにっ」
むっとした顔の骸が、綱吉を抱え込んだ。
「うわ、ちょっと、骸!?」
「君なんか、君なんか……!」
僕の気持ちも知らないで、と骸が叫んだ。
骸に抱え込まれながら、綱吉はベッドメイキングが崩れてしまうのではないかと心配していた。だってメイドの人が申し訳無いぐらいに綺麗に整えてくれるのだ。さっきから寝転がって暴れているせいでそこら中皺だらけになってしまっている。
けれど、楽しかった。
骸の心音は、意外と早い。
とく、とく、とく。
「僕の、気持ちも知らないで」
「骸?」
「君なんか、地獄に落ちてしまえばいいんですよ」
「それはやだなあ」
抱え込む骸の腕の力が、強くなった。
よりいっそう、骸の胸に頬を摺り寄せ、綱吉は笑う。
「今のままで、いいよ」
そう、今のままでいい。
今のままがいい。
「君なんか、」
「何?」
「僕と地獄に落ちれば、いいんだ」
絞り出すような、細い細いねじれた声音で、骸は言った。綱吉のふわりとした髪に顔をうずめて、骸はくふふ、と小さく笑う。
綱吉は黙って、骸の背に手を回した。
瞼を下ろして、息を吸い込む。
「……それも、いいかもね」
はっと、目を覚ました。
飛び込んで来た白い天井。
起き上がってみれば、まだ周囲は暗い。
枕もとの時計を見てみれば、朝には程遠かった。
「……夢?」
マリアは首を傾げた。
夢を、見ていた、気がする。
そう遠くない昔の夢。
「気のせい、かしら」
青い瞳が困惑に揺れた。けれど、マリアは首を振ってもう一度布団にもぐりこむ。
朝は、遠い。
うーん、今回はそんなに黒くはない、ですね。まだ大丈夫大丈夫。
マリアさんは、綱吉の元愛人さんでした。ドン就任が二十歳で、21で骸が死んでます。22でマフィア情勢が落ち着いた頃に愛人を二人程。24の時に4人いて、その内の一人、マリアさんに特に入れ込んでます。で、25で結婚。27になって男の子を授かりました。
マリアさんは28歳。大学院を出てます。頭はいいです。政治専攻してます。その知識を使って綱吉の秘書的な事もやってのけたり。青い瞳に黒い髪。肩に触れるぐらいで切りそろえております。美女です。ボンキュッボンです。
ま、そんな感じで、続きます。(続くのかよ!)
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