内にこもるような笑い声から哄笑へ。舞台に響く少年の高らかな笑いは、満足感に満ち満ちていた。
追い詰められた崖の上、既に退路は全く無く、待ち受けるものは丸く小さな銃口か、あるいは夜の黒い海原のみ。彼を狙う銃口は風にも揺れずにじっと彼を狙っている。夜の海は彼らのいる崖に波を叩きつけている。だと言うのに彼は両手を広げ、天を向いて、全身で笑っていた。
片岡はそんな少年を見つめて拳を握った。
ようやく、ここまでこれたのだ。
万感の想いを込めて、食いしばった歯。ぎりりと少年を睨み付ける眼光は鋭い
夜の海を背景に笑う少年。
何がそれほどおかしいのかは分からない。しかし彼は笑っている。
不思議な話だ、と思った。
潮風にくすぐられた頬を撫で、それから片岡は周囲を見渡した。
十数人の軍服を着た男達が銃を少年に向けて構えている。どことなくその表情には恐怖が見えた。しかしそれでも銃を持つ以上、丸腰の相手には優位性を感じているらしい、口元をほころばせている者も多い。
そして自分はその先頭に立って少年を、仇敵を、見ているのだ。
かつての友を、今から殺そうとしているのだ。
不思議な話だ。一体全体、どうしたらこんな話になってしまったのだろう。どこで間違えてしまったのだろう。間違えなければ、今、自分と彼とは、笑いあえていたのだろうか。
けれど今から自分は、正義の下に彼を殺す。
「ははは、はは!」
ぱたりと、広げられていた両腕が落ちた。笑い声も、やんでしまった。
しかし少年の顔にはまだその色が残っている。
「満足か」
乾いた、さっぱりとした声だった。
全てを許容した笑みを浮かべて、少年は片岡に尋ねかける。
「これで、満足か」
片岡はわずかに顔をしかめた。
「さあな」
「君らしくないな。そこは嘘でも、にやりと笑って『満足過ぎる』って答えるのが、君だよ」
呆れ混じりに言われて、何故だか胸を突かれたような苛立ちを覚えた。
友だった者を殺すのだから、その行為に特別性を感じても仕方ないだろう。しかし彼はそれを否定したのだ。そうであってはならないのだ、と。
彼にとって自分は、ただ単に『彼を憎む者』でしかないのか。
腹立たしい。このガキの為に人生を狂わされたと言うのに、このガキにしてみればこれはいつもの出来事でしかないのだ。沸々と、怒りが湧き上がる。
「お前に俺の何が」
「分からないよ」
わいた激情をぶつけようとすれば、少年はそれをさらりとかわした。
笑みは崩さず、少年は冷たい声音で言い放つ。
「だって、僕と君は違う生き物だ」
返す言葉は見つからなかった。
「君に僕が分からないように、僕も君が分からない。至極当然の事だろう。だって脳みそは別なんだからさ。だけど君は僕を殺すんだ」
がらり、と彼は色を塗り替える。
悪意という悪意を込めた憎々しげな表情。笑みの欠片も見当たらない。
片岡は、思わず一歩退いた。
「そうとも、何も知らず、理解せず、思い込み、正義に惑わされて!」
片岡の児戯のような激情とは違った。火山のように業火をまとった激情が彼を覆い尽くしていた。
「英雄は一方で蹂躙者でしかない。君は正義という盾に復讐を隠して僕を殺すんだ。君に付いてきた者達も君も理解していない! 僕とて、正義だ! 僕の行為の全てに理由はある!」
「だからって、じゃあどうして、仲間を殺した!? 葵を殺した!?」
「僕らにとって、悪だったからだ」
言い放たれた言葉に、脳が真っ白になった気がした。
悪?
彼にとって、彼女が悪?
「彼女ら研究員達が開発した兵器は、混乱を拡大させるに過ぎない。あってはならなかった。ようやく平和になりそうだったのに、どうして、そんなものっ」
「だから、殺した……?」
震える声で問い掛ければ、彼は不意に我に返ったようだった。
小さく、深呼吸してから片岡に向き直る。
「我らが皇国には、どうしてまともな諜報機関が無いんだろうな?」
「は?」
「連邦の属国だと風刺されるが、その通りだとは思わないか」
「……」
「汚職の無い政治はありえるか?」
「おい」
「作られた武器はどうすればいい」
「カケ、」
「このままで、いいのか」
「カケル!」
僕には、分からない。
穏やかに、悲しげに呟き、少年は一歩退いた。
海の方へと。
気付いた時には遅かった。
「安心しろ! 崇高な理想の下に全て犠牲は無いだなんて言わないさ! ただ少し、考えたくなっただけなんだ!」
「やめろ!」
駆け出した少年を止めるには距離が遠すぎた。
彼は、最期に、振り返った。
崖の先端で、海を背にして両手を広げる。
「僕の愛したルミは死んだけれど、君のダイスキな葵は生きているよ」
笑った少年は、天を仰ぎ見、そのまま背中から落ちて行く。
下へ。
「後悔しろ。僕は君を憎んでる」
海に落ちた音は、波の音にかき消されて、聞こえない。
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